広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

それでも美を信じられるのか

コロナ禍によって私の創作は危機に瀕しています。

美を享受する心のゆとりがない日々を送っている中で、美というものの無力さを思い知らされました。

これまで私は耽美主義を掲げてきて、美こそ力なのだと信じてきました。

 

しかし、戦時下でも己の創作を貫き通した谷崎のような胆力は私にはなかった。

いえ、大谷崎と比べること自体おこがましいことですし、私は一貫してこの状況を戦時下に例えたくはないという姿勢を保っていたいので、こういうことを引き合いに出すべきではないのかもしれませんが、それでもこの困難な時にあって、美というものが私の力になり得ないことにほとんど絶望しています。

 

美は私を夢想の世界に誘い、そこでずいぶんと私を癒してくれました。

しかしそれも平時ならば可能であったことで、夫の「これまで美を生み出してきたのは、飢えたことがない人たちだったからね」という言葉が心の奥に突き刺さっています。

私は今のところ経済的に困窮しているわけではありませんが、それでもメンタルは相当弱ってしまっています。心が飢えた状態を美というもので満たすことはなかなか難しいなというのが私の実感です。

身の安全が保証されてはじめて美を希求する心が生まれるのだということを痛感しています。

 

それでもなお耽美主義を掲げていられるのか。

それでもなお美を信じていられるのか。

 

震災の時でさえ経験したことのない問題に私は今直面しています。

そのひとつの答えが「生活者としての自分を、できるだけ自分の力で満たすこと」でした。

snowrabbit21.hatenablog.jp

このブログを立ち上げたのは3月のことでしたが、このブログが今の私のあり方を下支えしてくれていることは間違いありません。

 

ただ、上の問題は創作をする人間として決して無視できるものではなく、今日は詩を一編書きましたが、そのありように以前ほどのたしかな力を感じられなくなってしまっているのも事実です。

この詩はこちらのペーパーウェル04に寄稿する予定です。

 

そこで諦めてしまわずに、もう少し自分なりに美というものについて掘り下げて考えてみます。

美に力があるとするならば、それは普遍性を有することに他ならないのではないかと思います。

鏡花や谷崎が生み出してきた美の世界は、時代を超えて私の心に届きます。

その時空を超越する力を今は信じたいのです。

私の詩や小説が普遍性を持つかというと、そのような力は到底ないのかもしれません。

それでも読んでくださる方に少しなりとも美の一端を感じていただければ、それは私という個別性から離れて、読者の皆様との間に美という共通言語が成り立ったと考えうるのではないでしょうか。

ならばそこに美の力はあると信じてもいいはずです。

 

今日、詩を書いていて、私はどうしてもこの作風から離れることはできないのだということも同時に感じました。

おそらくより地に足をつけて自分の想いを訴えられる人間ならば良かったのでしょうけれど、私にそのような素直さはないようです。

美という包みに包まなければ情念や感情を吐露できないのは私の弱さでもあるのですが、こればかりはそういう気質なのだと割り切るより他に仕様がないようです。

 

ならばより力強く美を掲げること、日夏耿之介風に云えば美に拝跪すること

己の信ずる、美の化身たる月読尊をこれからも奉じつづけること。

この芯がぶれない限りは私は創作を続けていけるはずだと信じています。