俳句をメインで描いてきた、記紀神話をベースとした「暗黒神話」シリーズを詩という形で表現してみました。
私は記紀の神々の中でもツクヨミが一等好きなので、彼を仰ぎ見る形で詩を書きたいという思いがあり、このような一作が出来上がりました。
イザナミにも心惹かれるところがあって、それは幼少期に読んだ萩原規子の『空色勾玉』や、ミューズと仰ぐ戦国BASARA3のお市に端を欲しているのだと思います。
記紀神話と現代作品というと、真っ先に浮かぶのは中上健次の『枯木灘』なわけですが、ああいう骨太な小説を現代を舞台にして書くというのは本当に作家の力量あってのことですね。

千年の愉楽 (河出文庫―BUNGEI Collection)
- 作者: 中上健次
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1992/10/01
- メディア: 文庫
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私としてはどちらかというと『千年の愉楽』の方が好みなんですが、いずれは現代×記紀神話をベースにした物語を書いてみたいなあという妄想を膨らませています。
最近書いた中では一番気に入っている作品です。
宮沢賢治は心象風景として青い地獄を描きましたけども、私の心象風景はきっと紅蓮地獄なのだと思います。
紅蓮地獄とは、
ぐれん‐じごく ‥ヂゴク【紅蓮地獄】
※今昔(1120頃か)六「遂に死して紅蓮地獄(ぐれんぢごく)に堕(おち)ぬ」精選版 日本国語大辞典の解説
という地獄で、極寒なのに「紅蓮」なのかというギャップがあるところに惹かれるのと、泉鏡花の「陽炎座」で、地獄に堕ちた雪女が責め苦を負う場面にぐっときたというのがあって、これまでにも何度か詩にしてきたのでした。
『挽歌-elegy-』にもそんな雪女の詩を収録しています。『かもめソング』は完売しましたが、こちらはまだ若干数在庫がありますので、よろしければお買い求めください。
ドールをお迎えしたいのになかなかお迎えできない鬱憤が溜まって詩にしたシリーズ第二弾です。
第一弾はこちら。
兄と妹の片恋の詩は「あやかし万華鏡」のようにこれまでにも書いてきましたが、綺麗な片恋で終わらないのが私の描く恋なのだなぁとつくづく感じます。
心中に巻きこまれる兄はたまったものではありませんが。
イメージとしては志方あきこの「をかし」の世界観です。
詩は神秘でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。
と記したのは『月に吠える』の冒頭でした。
ここのところ寂しさをこじらせすぎていて、その思いの丈をぶつけたのがこの詩になります。兄は婿に行ってしまったのか、それとも先立ってしまったのかはわかりませんが、兄を思う妹の姿はそのまま自分自身と重なっていくのだなぁと感じつつ、感情をぶつけるように詩を書きました。
普段詩を書くときには自分の外側にある美を描くことが多いのですが、内面からほとばしる感情を謳うのが詩であることを考えると、これまで「詩ではない」と自認してきた私の詩も、ようやく詩になったのかなと思います。
この朔太郎の詩集は去年のベスト本というだけあって、相当影響を受けました。改めて再読してみて、本当に良かったなと思っています。