【読書感想】三橋鷹女のエッセイ
以前神保町で『現代俳句の世界 橋本多佳子 三橋鷹女集』という本を手に入れた。
鷹女との出会いは高校時代に遡る。その頃のことはかもめソングにエッセイとして書いた。
私に鷹女を教えてくれた高校時代の恩師にお熱だった私は、喜び勇んでこの本を手に取ったものだったが、心に引っかかった一文があった。
それはこの本に寄せられた馬場あき子の「妖艶たる気力」という評論の文章で、
正直な人であったにちがいない。孤独であったといわれる。決して人に同ずることができなかったその人は、時に奇想に近いことばの斡旋力を発揮して、読者を思いがけぬはるかな世界へと連れ出すことに愉しみを覚えていたのかもしれない。
というものだった。
俳句を読む限り、夫もいて子供にも恵まれていた鷹女がなぜ孤独だったのだろうという思いがずっと私の心につきまとっていて、つい先日、図書館で三橋鷹女全集を借りた。
というのもこの本に収められたエッセイが気になったからだ。
鷹女がエッセイを書く人だとはつゆ知らず、それを読めば彼女の孤独の一端を垣間みられるのではないかと思ったのだった。
果たしてそこには鷹女の情感あふれる文章が綴られており、ああやはりこの人は俳人なのだという思いを新たにした。
というのも、
あんたの、一体ほめるのですか、けなすのですか、どちらでもかまはないけれど。わたしといふものが、そうらく〻とわかられてはたまりませんわね。――三橋鷹女「ひとりごと」
という文章もあるかと思えば、
出来てゆくどの句もどの句もみんな、ほんとうでないやうな気がしだした。このやうなものを書き集めて、それでよいとは思わはれない。淋しい気がする――三橋鷹女「紫陽花」
という文章が踊っている。
今まさに詩作に行き詰まり、第二詩集を編むにも果たしてこれでいいのかと自問自答する日々を送っている私にとって、これはまさに「今読むべくして出会った文章」であった。決して比べることはできないけれども、鷹女もまた己の作風に苦悩し、己の創作に葛藤を抱いていたことを知ることができたのは何よりの収穫だった。
そして淋しさ、というのは鷹女の一貫した情感であったようで、先に触れた「紫陽花」には次のようなくだりもある。
それは兎に角あぢさゐはわたしが乙女時代から好んで来た花で今も好きである。淋しいくせに淋しさを見せずおほらかに咲き乱れるこの花は又、一名七変化とも呼ばれてゐるとほり、愛すべきお天気屋の機嫌かへでさへある。
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
この句ほど驕慢で気分屋な鷹女の心持ちをこれほどまでに見事に表わした句もそうないだろうと思われるが、この「紫陽花」こそはまさに彼女の「お印」だったのではなかろうか。
ちなみにこの句にはもうひとつ逸話があって、
何処へも手紙を書かない。だからどこからも便を聞かない。多分夏痩が始まつたんだらうと誰も思つてゐてくれるであらう。
――三橋鷹女「鬣」
四五年前の雑誌に「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」を発表して以来、夏が来るときまって句友のたれかれから、夏痩せ如何にや、といつたやうな便りを貰うやうになつた。今年も早卯木の花の散る頃になつたけれど、はてこの夏は誰が一番さきに、夏やせ見舞をわたしの為に書いてくれるであらうかなどと心待たれもして、折角みんなが案じてくれるのだからと思ふと、夏痩せするのが当然であるやうな、いつそへな〻と痩せ細らねばみんなに相済まないやうな、妙に甘つたれた心地にさへ溺れ込んでゆきさうになる。――三橋鷹女「紫陽花」
とも書き添えられている。
手紙を待ちわびる心は一手紙魔たる私にも覚えがある。
おそらく夏痩せ見舞いを受け取った鷹女の心には、うれしさと夏への嫌悪感と、一抹のやるせなさが混ざり合っていたことだろう。「鬣」に描かれた鷹女の心境は、己を気遣う友人たちの無言の優しさを感じつつも、手紙が一通も来ない寂しさに揺れる心そのものだったのだろうと私は想像する。
三橋鷹女の句に心惹かれてきたことは、先のエッセイにも触れていたので重複は避けるが、今回エッセイを読んでみて、ようやく彼女の孤独に触れた思いがした。
他にも「ボンボンダリヤ」「時の流れ」など、名文と云っていいエッセイを残している彼女ではあるが、残念ながらこの全集に収められたエッセイはそう多くはない。
実際のところどれほどの数を発表していたかは定かでないが、機会があればもっと彼女のエッセイに触れてみたいと思ったのだった。