普段は日本近代文学の沼に住んでいて、海外文学はどうにも苦手意識が抜けなかったのですが、フォロワーさんに勧められて、四月頃にキニャールの『音楽のレッスン』を読みました。
図書館の閉架書庫に眠っていたこの本は、私にとって海外文学の目に見えない壁を打ち壊してくれた一作になりました。
海外文学の高い芸術性と、「物語ること」そのものの斬新さに衝撃を受けました。
なかでも私の興味を引いたのは、「成連の最後の音楽のレッスン」。
伯牙の逸話をこのようにリビルドしていく手腕に感服し、また幻想文学として昇華してくれたことに、もう感謝の念しかありません。
ちなみに伯牙というのは、「伯牙、琴を破る」の故事で知られる、中国は春秋時代の琴の名手として名高い伯牙のことです。
この故事は、伯牙が自分の琴の音を理解してくれた友人鍾子期が死んでしまってから、二度と琴を弾こうとしなかったという逸話によるものですが、転じて自分を理解してくれた無二の親友に死別して悲嘆にくれることのたとえとして「伯牙、琴を破る」ということわざが生まれたのだそうです。
もっともキニャールの作品では鍾子期は登場せず、伯牙と弟子の物語となっていますが。
そもそもフォロワーさんに勧めていただいたきっかけが、「西洋人の書いた中国風の物語を探していて、おすすめがあれば教えていただきたい」と乞うたことだったんですが、キニャールのこの作品は、想像をはるかに上回る作品でした。
同じく西洋人の書いた中国風の物語というと、私がすでに読んだなかではユルスナール『東方綺譚』所収の「ある老絵師の行方」が想起されましたが、そのフォロワーさんがケネス・モリスの「紅桃花渓」を紹介なさっていて、興味をそそられて読んでみると、桃源郷の世界へ赴くストーリーで惹かれたので、おすすめをお尋ねしたのでした。
ケネス・モリス「紅桃花渓」
http://far-blue.com/work/morris/redpeachblossom.html
そして同じく西洋人が描いた中国というと、四月にロブ=グリエの『快楽の館』を読みました。
こちらは打って変わって近代の香港が舞台なのですが、青い館で夜な夜な繰り広げられるエロティックな演劇をベースに、視点や話の筋が延々と繰り返されながら変化していく、まさに万華鏡のような作品となっています。
ロブ=グリエはヌーヴォーロマンの旗手とされている作家だそうで、海外文学にうとい私にはただただその技巧的な世界観に魅せられるばかりでした。現代小説の美の一端を垣間見たような気がします。
それからしばらくして、以前岩波文庫の山田稔編訳『フランス短編傑作選』を読んで、もっとも印象に残ったロマン・ギャリ「ペルーの鳥」が、新訳で単行本として発行されたというので、図書館で借りて読みました。
「ペルーの鳥」は岩波文庫の山田稔訳の方が好みだったのですが、なんといっても「リュート」という作品に出会えたことがうれしかったです。
美を追い求める大使の姿に自分の理想を重ねて読み、スークのエキゾチックなうつくしさに心を掴まれました。なかでも、
“大切なのは、人生と美の奇跡を自分の手で素材(マチエール)から奪い取ろうと努力することなのだ。激しい欲求不満の気持と同時にいま彼が感じているこの心の高まり、この苛立ち、この痛いばかりの虚しさ、彼が指で感じているこの異様な肉体的ノスタルジアに対しては、こう思うよりほかに説明しようがなかった。ーーロマン・ギャリ「リュート」(須藤哲生訳)”
というフレーズを目にしたとき、私が小説を書く上で感じていた、あの焦燥感にも似たもどかしさの正体はこれだ……! と思わずにはいられませんでした。
今月にはギャリの長編が発行されるということで、今から楽しみにしています。
こうして俯瞰してみると、フランスの現代文学に心を惹きつけられているのがよくわかります。
これまでは日本近代文学に耽溺するばかりで、あまり海外文学に興味がなかったのですが、これらの作品を読んで、少しは魅力がわかったような気がします。
フランス現代文学をはじめ、これからもっともっと海外文学に触れていきたいところです。