2016年のベスト10冊
振り返ってみれば、今年は充実した読書生活を送れた一年だった。
山尾悠子に出会ったのも、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読んだのも、皆川博子に再会したのも、新選組にハマったのも、宮沢賢治の世界に入り浸ったのも、朝吹真理子や円城塔といった現代作家を発掘できたのも、高村光太郎の詩に救われたのも今年だった。
そういうわけで10冊に絞るのはなかなか難しいのだけれど、昨年もなんだかんだでランク付けしてしまったので、今年もやってみようと思う。
小説を読んでいて、自分自身の内面をすべてさらけ出してもらったという体験は、これまでほとんど記憶にない。もちろん芥川龍之介や太宰治にはその力があったけれど、自分の醜いところも美しいところも、すべてがここに書かれている――そう思わずにはいられない、希有な読書体験ができた。
キリスト教との関わりを模索した一年でもあったので、もう聖書はこの『カラマーゾフの兄弟』でいいんじゃないか、とさえ思ってしまう。ゾシマ長老の説教にどれほど心救われたことだろう。
付箋を貼る手が止まらなくて、上巻中巻は付箋だらけになってしまった。
そういう本に出会えたことに心から感謝したい。
文アルから軽率に転んで読みはじめたものの、気づけばどんどん史実の彼にのめり込んでいった。本がのどを通らなくなっても、彼の詩だけは私の心に響きつづけている。飾り気がなく、それでいて美しくまっすぐな言葉は、幾百の美辞麗句よりも心に迫ってくる。
上から差し伸べられる言葉には、救いはあるけど共感はない。高村光太郎の言葉は上から差し伸べられるんじゃなくて、横から差し出されている感じがする。だから共感できるのかもしれない。
特に「あをい雨」「かぎりなくさびしけれども」はノートに筆写せずにはいられないほど、私の心を揺さぶった。
岩波文庫の高村光太郎詩集には掲載されていない「戦争協力詩」もいくつも収録されていて、あらためてあの時代に生きた文豪たちの辛苦を忍ばずにはいられない。また巻末には詩論のエッセイも併録されており、一冊で高村光太郎という人を概観できる仕様もうれしい。
今年はさんざん本に泣かされたのだが、この一冊ほど私の心を強く強く打ち抜いた本はなかった。特別カバーの表紙がかわいいからと手に取ったのだが、生きものや自然、そして虐げられたものたちへのまなざしはあまりにやさしく、こころに傷を負い、なおかつ他者を傷つけてきた私にはあまりにまぶしすぎた。
奇しくも秋頃に宮沢賢治作品の朗読会に足を運んだこともあり、また生誕120周年の記念すべき年だったこともあり、今年宮沢賢治の作品に触れられたことは特筆すべきことだったと思う。私に生きる上での指針を与えてくれた、そんな一冊だった。
「こわいことはなにもない。おまえたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のようなもんだ。なんにもこわいことはない」(……)「みんなひどく傷を受けている。それはおまえたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれも何でもない、」――宮沢賢治「ひかりの素足」p120
この言葉は何度だって引用したい名文だ。
生きる困難さを背負いながら、それでも心折れることなくひたむきに歩む登場人物たちにどれほど勇気づけられたことだろう。
4|山尾悠子『夢の遠近法』
どれほどこの作品に励まされたかわからない。「ああ、私もこんなに自由に〈自分の好き〉を詰め込んだ小説を読んでいいんだ……!」と背中を押してくれた一冊。「パラス・アテナ」も「ムーンゲイト」も、そして「童話・支那風小夜曲集」も年初に読んだきりだというのに、未だにその鮮やかな色彩が色あせることはない。今月には歌集『角砂糖の日』が刊行されたということで、個人的にも公にも山尾悠子イヤーとなったなあと思う。
これからも私が小説を書いていく上で、間違いなく道しるべとなる一冊だと思う。
5|円城塔『道化師の蝶』
表題作のフェズで老女とともに刺繍をする場面は、未だに心の中に残っている。併録されている「松ノ枝の記」とともに言葉の世界を旅する物語で、高等遊民の与太話のような語り口で物語りが進む。いや、進んでいるのか戻っているのかすらよくわかならい。小説の構造そのものを解体したり再構築したりしていて、「物語を旅する」という体験を味わえる作品。この一冊を読んで円城塔という作家に魅了された。
6|朝吹真理子『きことわ』
岩波文庫の無料冊子「古典のすすめ 第2集」に収録されたエッセイを読んでからというものの、彼女の小説を読みたいと思っていて手に取った一冊。現代映画の映像のようにまばゆくぼやけた雰囲気の中、夢のようなふたりの女性の交流を描く。具体的な出来事はほとんど思い出せないのに、映像として心の中にいつまでも残っている作品。読んだ当時はだいぶくたびれていて、筋のはっきりしない小説を読みたいと思っていたから、私の心にぴったりな一作となった。
7|『フランス短編傑作選』
この本でリラダンに出会えたことは本当に大きな収穫だった。全体的に怪奇幻想テイストの小説が多いので、そちらがお好きな向きにはぜひおすすめしたい。個人的にはロマン・ガリーの『ペルーの鳥』が白眉。彼の小説をもっと読んでみたいのだけれど、あまり翻訳が進んでいない模様。海外文学あるあるなのかな。プルースト「ある少女の告白」やラルボー「ローズ・ルルダン」は少女小説の色合いが濃厚で、プルーストというと『失われた時を求めて』が真っ先に浮かぶ人ほど読んでみてほしい。
8|白洲正子『かくれ里』
こんなに順位が下がってしまったけれど、この本は間違いなく日本人の良心だと思う。手垢の付いたステレオタイプな観光地を一蹴し、「かくれ里」に残された日本の本来の姿を探ろうとする著者の姿勢には頭が下がる。寺社に守り継がれてきた能面に美を見いだす心は白洲正子ならではの美意識なのだろう。彼女の遺した無形の財産の大きさに驚くとともに、また近江に足を運んでみたくなった。なお、信州旅行へ行く際に、彼を置いて一足先に新幹線に飛び乗り、不安に駆られながらこの本を読みふけっていたのは忘れがたい思い出になった。
9|金井美恵子『兎』
金井美恵子に出会ったのも今年だった。図書館の閉架書庫から引っ張り出してもらい、けだるい夏の午後のひとときに、布団に背をあずけながら読みふけった記憶がある。私の詩に影響を与えた本のひとつであり、これからも影響を与え続けるだろうと思う。まだ二冊ほど彼女の本を積んでいるので、来年は丹念に読み込みたい。本書で「甘い痺れるような全身の疲労感」という言葉に出会ってから、常につきまとう疲労感も愛せるようになった。そういう意味では大いに助けられた本でもある。
もはや順位などどうでもいい。皆川博子と再会して「悔しい、でも好き、やっぱり大好き」という気持ちを思い知らされた一冊。今年は皆川博子の本を三冊読んで三冊積んだが、山崎俊夫に影響を受けたとおぼしきこの本が一番好きだ。なんといっても「文月の使者」が収録されている時点で好きになるに決まっている。表紙に吉田良氏の球体関節人形があしらわれているのもポイント高い。これからもっと彼女の作品を読んでいきたい。今後ともどもお世話になること間違いなしの作家だ。
この順位にもの申したい人も多いかとは思うが、私の記憶フィルターによって選んだので、好きとか嫌いの度合いというよりは、より印象に残っている本が上位に来ている。本に救われるという体験を何度も味わえた、本当にいい年になった。
ただ学術書をほとんど読めなかったことが残念でならない。大学を卒業して二年目だった今年は、つい娯楽にばかりながされてしまったなと反省している。来年はもう少し意識的に読んでいきたい。