文豪とアルケミストを初日からはじめて、ちょうど二十日になる。やりこめばやりこむほど文アルのおもしろさにのめり込みつつあるので、なにがそんなに面白いのかを書いてみたい。
いくつか原因はあるのだが、その最たるものとして会派のメンバーのちぐはぐさがある。
ちぐはぐなメンバーの何がおもしろいのか、と思われるかもしれない。史実の会派や好みの作家で会派を作っている人も多いだろう。
だが私の元には谷崎潤一郎が未だに来ない。谷崎潤一郎に一目惚れして文アルをはじめたにもかかわらず、未だに来る気配がない。
よって好きなメンバーで会派を固めることができないという縛りが生まれている。
私だって谷崎潤一郎に永井荷風、高村光太郎に泉鏡花と好きな面々をフルメンバーでそろえたい。その欲求はたしかにある。だが谷崎潤一郎も泉鏡花も未だ手元にない。
どだい好きなメンバーだけ育てるということが難しくなる。
それでも元々レベリングがおっくうな人間なので、会派すべてにひとりずつ好きなメンバーを入れないと、育てたくなくなるのは目に見えていた。
さらに武器種が偏らないように育てなくては、ボスマスまでなかなかたどり着けないというゲーム面での縛りもある。
ただでさえ弓や銃は重宝する武器種だ。ひとりでも多く育てておけば、ダメージを受けて補修が必要な時にでも対応できる。
そこで今の編成になった。
※会派四はレベリング底上げ部隊なので、キャラが入れ替わり立ち替わりしていて固定メンバーはいない。
会派一
会派二
会派三
谷崎潤一郎に惚れるつもりが、いつの間にか高村光太郎を偏愛するようになったという記事は以前書いたとおりだが、このように会派を組むとキャラの性格も属性もばらばらになる。
会派一でいうと、徳田秋声はツンツンとした性格で、中野重治は物腰が柔らかだ。高村光太郎は性格的に光属性だが、島崎藤村は闇属性と云える。
同じくネガティブな性格であっても、島崎藤村の戦闘ボイスは軽やかで、徳田秋声には不快感がにじむ。穏やかなようで射ても中野重治は懊悩を抱え、高村光太郎だけがただひとり精神の安定を保っている。
それぞれの性格のアンバランスさを高村光太郎が支えていると思うと、とたんにわくわくしてくる。
こうして意図せず対照的なメンバーが揃うと、戦闘にもハリが出てくる。キャラ同士が互いを引き立て合い、戦闘中のボイスの重なりにもおもしろさが生まれる。
会派二では織田作之助の語気の強い関西弁と、新美南吉のサドショタボイス、国木田独歩の気合いを放つ声に吉川英治の金言めいた台詞が重なる。
新美南吉「どんないたずらにしようか?」
吉川英治「一計を案じよう!」
という固定台詞の偶然のつながりが生じ、一見関わりのなさそうなふたりがいたずらを考えているようなおもしろさが出てくる。
元々吉川英治の武士のような雰囲気が好きでこの会派を組んだのだが、国木田独歩の気品のある誇り高さはほほえましく、織田作之助の「あーしんど、カレー食べにいけへん?」という帰還台詞に戦闘の疲れを癒やされる心地がして、この会派のメンバーが全員かけがえのない存在になってしまった。
会派三では偶然にも酒好きな若山牧水と石川啄木が揃ったが、若山牧水のくたびれた飲んべえ親父のような語調に石川啄木の荒っぽい声が効いてくる。
さらに森鴎外の落ち着きを払った声がふたりを制し、小林多喜二の静かな声がそれに続く。
石川啄木と小林多喜二は回想があることもあって、ふたりが揃うとでこぼこコンビの高校生のような雰囲気がある。大人っぽい森鴎外や若山牧水と対照的な雰囲気を生むのがおもしろい。
当初は森鴎外が好きだったのだが、石川啄木の翳りを帯びたヤンキー加減が大変ツボにはまってしまった。実のところ高村光太郎との回想が気に入ったので、高村光太郎と同じ会派に入れたいのだが、しばらくはこの会派に留めておきたい。
こうして意図せずさまざまな個性をもったキャラ同士がぶつかり合い、同じ釜の飯を食い、それぞれの武器を手に戦う。
そうこうしているうちに気づけば誰もがいとおしくなってくる。
好きなキャラや似通った属性だけを偏愛していたとうらぶでは得られなかった楽しさを、文アルで味わえるのだ。
文アルをやっていて、キャラの個性のぶつかり合いというのは、一次創作ではとても大事なキーなのだということに気づいた。
二次創作ではキャラの親和性を求めるあまり、似た傾向のキャラをCPにしてしまいがちなのだが、そうするとキャラ同士に奥行きは出ても、広がりは出ない。
互いが互いのことをなにもかも認め合い、気質が似通っていて、あうんの呼吸で深く理解しあっている関係ではドラマは生まれ得ないのだ。
それぞれのキャラが互いを引き立て合う関係は物語に広がりを生むだけでなく、奥行きすらも兼ね備えることができる。
前作「雪花物語」(『文芸ラジオ』2号所収)を書いたとき、主人公ふたりとは対照的な、峰というキャラクターを加えた。
主人公の晶とは対照的に朗らかでお人好しな中年で、長崎弁で主人公を物語の中へ引き込んでいくという役回りで、私の好みからすればだいぶ外れてしまうのだが、さまざまな人から感想をもらったときに「峰さんが素敵だった」という声をいくつかいただいた。
彼がいなければ物語は動かなかっただろうし、作品の雰囲気だって無駄に重々しくなっていただろう。
作品の魅力とはキャラクターの多様性にこそあるのだとつくづく感じた。