佐々木海月さん(@k_tsukudani)の小説同人誌『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』を拝読しました。
ブクログに引き続き、感想を小説の文体で書いてみようということで、掌編を書かせていただきました。
「孤独とはひとに与えられた最大の恩寵ではないかね?」
「何を言い出すのさ、藪から棒に。僕は眠いんだ、明日にしてくれないかな」
時刻はとうに夜半を回り、降りしきる雨の音だけが静かに響く。明日の朝の礼拝に行くことだけを考えているかと思えば、謎かけみたいなことを云いだして、このハイネという大人は相変わらずどうしようもない。
深夜に近づくと彼は妄言を並べ立てる癖があった。どこまで本気なのか、無聊をもてあましたなれの果てなのか、僕には判断しかねる。彼が手にした冊子に目をやれば『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』とあった。
「眠っている間、君は見知らぬ人間と、あるいはすでに去った人間と言葉を交わし、時間を共有するだろう。醒めてしまえば彼らはいない。そこで君はその日はじめての孤独を味わうわけだ。むなしさが心に谺して、今ここにはいない人々の面影をつかの間求める。記憶のなかに住まう誰かが、そっと訪ねてきてくれる――それも傷つけることも傷つけられることもなく、うつくしい思い出のまま。それほどまでに幸せなことがあるかね」
「二度と会えないのなら、思い出を蘇らせたって仕方がないじゃないか。僕の母さんだって、思い出したところで戻ってくるわけじゃないのに」
「それでも記憶の糸をたぐり寄せずにはいられない。大人になればなるほどたぐり寄せる糸は長く長く伸びて、ついには誰にもたどり着かなくなる。一日、また一日と過去になってゆくうちに、昨日会った誰かがどんな顔をしていたのかも思い出せなくなるのさ」
「だから夢が必要なの? 幼子みたいだね」
「記憶を反復する装置としては悪くはない。いささか扱いに困るのが玉に瑕だがね」
冊子をぱさりとテーブルに置いて、ハイネはマグカップを持ち上げる。ブラックコーヒーの催促だった。どういうわけだかお茶の支度をするのは僕の仕事になっていて、ハイネ曰く僕の淹れたブラックコーヒーは美味しいらしい。
「それで、夢とその本とどんな関係があるのさ」
年代もののケトルで湯を沸かしながら僕は問う。『フリンジラ・モンテ・フリンジラ』という呪文めいたタイトルが頭の中でリフレインして、意味もわからないままに小さく口ずさむ。フリンジラ・モンテ・フリンジラ。
「夢とうつつとの境目など誰に見分けられるのかね? カラスが口を利き、記憶は交錯して浮遊する。夢なのかうつつなのか、いずれにも解釈できる。だがあらゆる解釈しないこともひとつの解釈だ」
「ハイネの言葉遊びはくどいよ」
湧かした湯をドリップスタンドに注ぎ込み、抽出したグアテマラコーヒーをカップに移す。不思議なもので、コーヒーを淹れるという儀式は僕にささやかな安らぎをもたらす。コーヒーの香りが立ち昇り、狭いリビングを満たしていく。
「シャルル、母さんが恋しいか?」
「もう顔も覚えていないよ」
僕は嘘をついてハイネにカップを差し出した。夜が更けてゆく。明日の礼拝には間に合わないかもしれない。