新たに図書館エッセイ集『図書館という希望』をお読みいただき、ありがとうございます

新たに図書館エッセイ集『図書館という希望』をお読みいただき、ありがとうございます。

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ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。
「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、うつ病当事者としての図書館との関わり、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。
本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。

-収録作品-
図書館という希望
ふたつの棚
図書館という友人
ふたたび図書館へ一
図書館の使い方を模索する
コロナ禍の図書館について
蔵書の整理
ふたたび図書館へ二
先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神
図書館という知の海に漕ぎ出す
図書館で知を拓く
学校の図書室の思い出
非常事態宣言下の図書館
本書に登場した書物

kindle unlimited会員の皆様は追加料金なしでお楽しみいただけます。

 

またそろそろ詩の折本を作ろうかと考えているところですが、こちらは投稿との兼ね合いもあるので、しばらく先になるかもしれません。

ひとまず既刊を貼っておきます。

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さらに、昨夜上篠翔さんの『エモーショナルきりん大全』を読んだことをきっかけに、作歌も再開しました。

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今後とも折本を作るべく、短歌を詠みためていきたいと思います。

ちなみに既刊はこちらです。

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どうぞよろしくお願いいたします。

この一年を通じて穴から見えたもの

とある経緯があって、創作ブログをnoteに移そうかとも思ったのだけれど、noteの運営がどうにも好きになれないのと、Twitterをようやく退会したのに、また似たような界隈と繋がるのが嫌で、結局はてなブログで細々とつづけていくことにした。

少し記事を整理したいという気持ちはあるので、下げるものは下げて、順次整えていきたい。

人ともっとつながりたいという思いはたしかにあるのだけれど、結局のところ創作グループに所属して上手くいった試しがなかったし、私は村上春樹が『職業としての小説家』で語っていたように、創作をする人と和して生きていけない人間なのだと思う。

またここのところ田山花袋『東京の三十年』を読んでいて、田山花袋にとっての国木田独歩のような存在がいればいいのにと思わなくもないけれど、拗らせすぎた若年男性の「何者かになりたい欲」と身勝手な嫉妬心をぶつけられるのにいい加減疲れていて、PTSDも再燃したことだし、そうした環境からしばらく距離を置きたい。

20代を通じて、ずいぶんと創作に携わる人を見てきたけれど、結局のところ自分自身を最大のライバルと見なす他に上達の道はないのだろうと思う。

他者と比べたところでどうしようもないし、ただ黙々と詩を書きつづけていけば、やがてどこかに届くこともあるのかもしれない。

ココア共和国に三カ月連続で佳作として採っていただいたことも、Twitterやしがらみの多い場所にいては、決して叶わなかったことだったと思っている。

今月末には金澤詩人賞の〆切が待っている。いくつか詩を書いてみて、幾らか気に入ったものもあったので、そちらも応募するつもりでいる。

黙々と誰にも見せずに詩を書くことはただただ苦しいけれど、そうして自分自身の詩を選ぶ目を培うことは、私にとって何よりも大事なことなのだろうと思う。

他者からの評価軸だけで自分の詩の良し悪しを定めてしまうと、何が詩として成立していて、何がだめなのか、まるでわからなくなる。

私はこの11年間というものの、ほぼひとりきりで詩を書いてきたから、頼れるものは自分の目だけだ。その目を養うことは、詩を書く上で何よりも欠かせない技術となる。

そこにインスタントな評価は必要ないし、賞賛もいらない。

自分と向き合いつづけたこの一年は、リスパダールの投与によって幕を下ろそうとしている。

もっと早くにリスパダールを処方されていればこんなに苦しむこともなかっただろう。

しかし、その苦しい状況だからこそ見えてきたものがあったし、詩を書きつづけられたのだ。

先日読んだ渡辺和子シスターの『置かれた場所で咲きなさい』に「穴から見えるものもある」と説かれていたけれど、この一年がまるで無意味だと思い詰めてきた果てに、見えたものはたしかにあったと思える。

希死念慮に見舞われてもなお、自分自身の軸をしっかり掴んで離さなかった一年でもあった。

苦しみつづけた日々、小説が書けなくなって足掻きつづけた日々にもようやく光が差そうとしている。終わりのない夜を自分自身の足で歩みつづけたことをまずは認めたい。

ココア共和国12月号落選と今後のこと

ココア共和国に12月号用に投稿した自由詩が落選していた。

どのみち失うものなんて何もないし、落選したらしたで、次の改善点へとつなげていきたいと思っていた。

最近はじめた自由詩でどこまで通用するのか見てみたいと思ったのだけれど、あいにくと私の腕では限界があったようだ。

そうすると散文詩に全振りするということになる。

金澤詩人賞に投稿した作品は散文詩を選んだ。

evie-11.hatenablog.com

また何編でも投稿可能ということだったので、もう少し粘ってみようと考えている。

数打ちゃ当たるというものでもないので、質は必ず担保しなければならないのだけれど、ココア共和国1月号用に投稿した詩がどうにも手応えがなく、「こちらを投稿すればよかった」と思える出来だったので、挑んでみたい。

公募への投稿は全て通るということは不可能だし、これも一つの勉強だと思って謙虚に受け止めて次へと向かいたい。

三ヶ月連続で佳作として採っていただけたことをまずは前向きに評価して、さらに高みを目指したい。

最近田山花袋『東京の三十年』を読んでいて、ついに他者の主宰する創作サークルではうまくやっていけなかったなということを痛感してしまったのだけれど、私には主宰するサークルがふたつあるから、そこをじっくり育てていくことを第一に考えたいと思う。

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他者との折り合いがうまくつけられない自分が情けなく思えてくるけれど、村上春樹も小説家というものは群れられるものではないということを『職業としての小説家』に説いていた。

異性に嫉妬されたり、足を引っ張られることにもうつくづく疲れてしまっているし、思うように小説が書けない状況が長くつづいている現状にも辟易としている。

小説ももうしばらく書くことはないだろうし、詩に想いを定めたので、しばらくは詩を書きつづけるだろう。11年の間、詩は絶えず私のそばにいてくれた。死にたい夜も、自殺未遂をした夜にも、ただそばにいてくれたのは詩だけだった。

aniron.hatenablog.com

作家になるという夢は、詩人になるという夢に変わってしまったけれど、それでも自分の向き不向きを知るためにもアクションを起こしてみて良かったと思っている。

今後ともインプットも強化しつつ、さらに前に進みたい。

最近は色々と詩歌集が届いた。

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さらに書庫を整理して詩歌棚を整えた。

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順次読んでいきたい。

歌集に関しては積読本がだいぶ減ってきていたので補充できたのが嬉しいところだ。

しっかり量をこなして実作に活かしていきたい。

Twitterの身内垢のみ復活しました

詳細は日記に書いてきたので割愛するけれど、ここのところ心身ともに調子を崩すことが多くて、おまけに実家との関係がさらに難しい局面に立たされてしまったこともあり、友人とゆるくつながっていないと、心身のバランスを崩しそうだったので、Twitterの身内垢のみ復活させた。雨伽詩音名義のアカウントはもう消滅してしまったし、復活させる予定はない。

aniron.hatenablog.com

身内垢だと愚痴っぽくなってしまうのが目下の悩みで、そういう自分に自己嫌悪を抱いていたのだけれど、ここ最近関心のあるコスメの話題や、友人たちが関心を持ってくれている主人とののろけ話、創作の日々の報告などをメインにしたところ、病みツイートの割合は少しずつ少なくなってきつつある。

そうしたこともあってか、時々友人たちとやりとりをすると、互いに気にかけ合っているのだなということが再確認できるし、雨伽詩音名義のアカウントではつらかったさまざまな人の目線も、身内垢ならば幾らか安心できて、私にとってはちょうどいいバランスなのだろうなと思う。

妙な気負いが抜けたというのも一つの効用で、写真は美しく撮らなければとか、逐一本の写真を載せなければとか、読んだ本について毎回言葉を割いてツイートしなければという強迫観念めいたものもなくなった。

気が向けば書影を載せるし、感想も載せるけれど、気乗りしなければあえて紹介しなくてもいい。読書アカウントではないし、創作で必ず成果を出して、コンスタントに活動報告をしなければならないというものでもないから、身内垢は気楽で私には合っているのだろうと思う。

自撮りもそこそこ載せるけれど、今の不穏なご時世、なかなか表には出しづらいので、そういう時にも身内垢の存在は助かっている。

元々いいねの数を気にするタイプではないし、むしろいいねに人の視線を感じて不安な気持ちになることが多かったから、気が向いたらその時々で話すけれども、後はお互いスルーという空気感がちょうどいい。

賞レースだの、どこそこに投稿して掲載されただのといった自己顕示欲のしのぎの削り合いや、書影や著者名で殴り合いをするだけの不毛な環境から抜け出して、のんびり気ままにクローズドな形でTwitterと付き合うというのが今の私には合っているのだと思う。

Twitterがなければ集客力が落ちるのではないかとか、宣伝ができなくなるのではないかという危惧はあったけれども、Twitterから購買行動へと結びつくということがまずなかった弱小サークルの身としては、むしろTwitterは創作上の不要な妬みを買うだけの至極迷惑な存在だったのかもしれない。

身内垢にもそれぞれ性質があると思うのだけれど、私の身内垢は付かず離れず基本スルーが原則になっているので、呟きたい時に好きなように呟いている。別に自分のツイートを誰も見ていなくても構わないし、私にとってはアウトプットの場がありさえすれば、それで十分なのだ。

いわば学生時代の部室の延長としてTwitterを使っていて、そこでは何を語ってもいいし、語らなくてもいい。ただ適度にいい距離感を保っておくことが何よりも大切なのだと思う。

そういう点では身内垢のメンバーには心から感謝しているし、Twitterの人間関係で悩んでいる人は何かと多いと思うけれど、どのみちやめるにやめられないのがSNSというものだから、その都度自分にとって心地よい距離感を作ったり、あるいは鍵垢を活用するなどして、できるだけ有象無象の煩わしい声を遮断するに越したことはないのだろうと思う。

ココア共和国に投稿しました

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先日金澤詩人賞2021に投稿したので、今月はお休みしようかと考えていたのですが、詩を書きたいという欲求が止まらずに、ひたすら詩を書きつづけているので、せっかくだからと、ココア共和国にも投稿することにしました。

evie-11.hatenablog.com

3ヶ月連続で佳作に採っていただけても、次も佳作として選ばれるとは限りません。

特に先月は自由詩を投稿したこともあり、厳しいのではないかなと思っていますし、今回投稿した詩も、これまでに書いてきた幻想風のものとは毛色が異なるので、どこまで通用するのかはわかりません。

それでも投稿したかったのは、ここで諦めてしまっては絶対に後悔することが目に見えて分かっていたからです。

詩を書きつづけることは、私にとって小説を書くことからの逃避に過ぎないのではないかと思い詰めたり、自分にとって妥協に過ぎないのであれば詩を書く資格なんてないのではないかと考えてきました。

それでも死の傍にあったものが二つだけあったとすれば、それは詩と睡眠だけです。

aniron.hatenablog.com

ならば私にとって詩を書くことはもはや必然以外の何者でもないのだと思います。

たとえ評価されても評価されなくても詩を書くしか私にできることはないから詩を書きつづけるだけです。

私よりも優れた詩を書く人も、私よりも多くの詩歌集を読んでおられる方もいるのでしょうし、その方々と比べて深いコンプレックスに陥ってばかりいましたが、「やはりどうしても書くしかない。他の手法ではなく、私には詩しかない」という強い動機があればこそ11年も詩を書きつづけてきたのだと信じていたいですし、強い想いを抱いていたいです。

インプットはこれからどんどん増やしていけばいいと開き直って、先日様々な詩歌集を購入しました。届いたらまたお披露目したいと思います。

この一年、小説が書けなくなって、何度も心が折れかけましたし、今だって折れています。

それでも前に進むしかないし、自分にできることをやっていくしかないのだと思います。

そういう意味では最近観ている仮面ライダーオーズは大きな力を与えてくれましたし、先日読んだ遠藤周作『影に対して』は詩を書く原点を思い起こさせてくれました。

music.apple.com

aniron.hatenablog.com

これからも様々な「物語」の力を得ながら、自分の詩の道を歩んでいきたいです。

金澤詩人賞2021に投稿しました

これまで詩の賞への投稿はほとんどしてこなかったのですが、ココア共和国で三ヶ月連続で散文詩を佳作として採っていただけたことが励みになり、今回応募することにしました。

正直なところそこまで自信があるわけではありませんし、散文詩というジャンルは自由詩よりも狭き門なのはわかっているので、あまり色よい結果は出ないだろうなと思っています。

それでも投稿したのは、自分の実力を別の場所でも試したいという思いがあってのことでした。

かといって中原中也賞に挑むにはまだまだ敷居が高く、選び抜いた詩で詩集を編んでも手が届かないかもしれません。

金澤詩人賞も大賞のみと狭き門ではありますが、まずはチャレンジしてみようと思い立ちました。

師と仰ぐ詩人と出会ってから11年、ただひたすらに詩を書きつづけてきました。

自分の作品に納得できているわけではありませんし、まだまだ上を目指したいです。

それでもこうして詩を書きつづけてこられたのは、ひとえに読者の皆様のおかげと心から感謝していますし、自分の心のうちに詩の灯火が灯っている間は、詩を書き続けるのだろうと思います。

先日出会った遠藤周作『影に対して』はそうした意味でも、私にとって一つの運命的な出会いとなりました。

詳細はこちらの記事にまとめたので重複は避けておきます。

aniron.hatenablog.com

ただこれからも芸術を奉じ、芸術を信じて創作を続けていきたいです。

そこには私の私たる所以が詰まっているのだと信じています。

図書館エッセイ集『図書館という希望』、文学理論部門65位ありがとうございます

図書館エッセイ集『図書館という希望』がamazonの文学理論ランキングで65位にランクインしました。

図書館という希望 宣伝

ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。

「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、蔵書にまつわること、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。

本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。

 

-収録作品-

図書館という希望

ふたつの棚

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図書館で知を拓く

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出版からちょうど二ヶ月経って、この成果は本当に嬉しいです。

evie-11.hatenablog.com

前回の最高位が69位だったので、それを上回る結果となりました。

この機会により多くの方々にお読みいただければ幸いです。

Kindle unlimited会員様は追加料金なしでお楽しみいただけますので、ぜひよろしくお願いいたします。

これを励みに、新たなエッセイ集の出版に向けて、さらに励んでまいります。