創作のあり方を模索する
今月は現時点で9篇の詩を書き、31首の短歌を詠んでいるらしい。
カクヨムでカクヨムサポーターズパスポートが始まり、そろそろ復帰してもいいのかなと思ったのだけれど、私がこの一年向き合ってきた創作の手法は、お金に還元されればいいというものではない。
一人で詩と向き合い、短歌を詠む日々は孤独だ。最近は歌会もするし、作業会を通じて短歌を人と詠むこともあるけれど、それでも創作をしている間は完全に一人で、巧拙もうまくいかずに苦しいときも自分で呑み込まねばならない。
その厳しさがあるから、私は詩歌を作り続けてこられたのだろうと思う。もともと他者からの評価は私の創作意欲に何ら寄与しないので、インスタントな評価は求めていたわけではないけれど、そのインスタントな評価が入り込む余地がない環境は、私にとって詩歌を作る大きな原動力を作ってくれているのだと思う。
賞に投稿したり、雑誌に投稿するにも、ネットに逐一公開して詩歌を作っていたのでは何かと都合が悪い。未発表の作品でなければ投稿はできないし、その自分の作品の良し悪しを選ぶところから、もう選考は始まっていると云っていい。そこに他者の目をあまり介在させたくないのだ。
粘りに粘って詩歌を作り、良いときも悪いときも自分の作品と向き合い、軌道修正をしたり新たな模索をする過程が私にはとても喜ばしいものと映る。作っている間は誰からも評価されることはないけれど、一人で唸りながら作り続けていると、9篇の詩のうち1篇ぐらいは投稿しても良いかなという詩が出てくる。
そこで今日ようやくココア共和国に投稿をした。
そろそろ3月号の当落発表がある頃だ。また月末には金澤詩人賞の発表がある。
前者はともかく後者に関してはまず受からないだろうと思っているので、落ちていたところでさらに精進を続けるしかないのだけれど、それでも詩を作る喜びは全く損なわれることがない。
短歌に関しては3月下旬にNHK全国短歌大会の入選発表がある。
まだまだ励んでいかねばならない。
短歌に関しては最近は詩歌タイムアタックという試みを始めた。
一時間という制限内の中で短歌を詠むのは良い緊張感をもたらし、短歌を詠むモチベーションを底上げしてくれる。
今後ともこうした自主企画を行いながら、機会を窺いつつ短歌も投稿していければと思う。
2022.02.14 おりひめ作業会報告
かねてからおりひめ歌会のお相手のまさやまさんと企画していたおりひめ作業会を開催した。
14:30〜15:30の一時間の作業で、途中にお茶休憩を挟むという形になった。
私は詩も書ければと思ったのだけれど、おりひめ歌会の作業会ということもあって、短歌に専念することにした。
これまで同様メモ帳を使って詠んで、結果は43分で9首だった。
Time Timerを使っていたこともあって良い緊張感があり、集中して詠むことができた。
ここのところ短歌を詠む際にはもっぱらこのアルバムを聴いている。
能楽や雅楽をベースとした音調が心地よく、短歌を詠むにも雅趣を添えてくれてとても良い。
詠んだ短歌はどこかに投稿するかもしれないので、現時点では非公開としておく。
療養詩歌を作るという気持ちで詩歌と向き合ってきたこの一年強は長く厳しいものだったけれども、その形を継承しつつも、さらに次の模索へと進んでいきたいと思っている。
その模索を続けながら最近は詩を書き、短歌を詠んでいる。まだ方向性が定まらないので、一旦療養詩歌というベースに戻るべきかとも思っているところで、その答えはまだ出ていない。
数日前、日記に以下のように書いた。
病んだ心身というフィルターを通じてしか物事を知覚できないことに、私は強い理不尽さを抱えてきた。物語の多くの主人公たちは健康な男女だし、そこに私のように心身を病んだ人間の居場所はないという思いが強かった。
そういう病んだ心身を通じて映し出される世界というものを作品に留めておくというのは、世間一般からすると価値のないことなのかもしれないが、それでも私はその世界をわずかばかりでも残しておきたいと思う。
アウトサイダーアート、あるいはアールブリュットという言葉が世の中に認識されるようになって久しい。同じような試みが文学でも可能であるならば、それを表現してみたい。
もっとも短歌という枠の中を前提とした話でもあるし、私は私以外の病者について語る資格を持ち得ない。ただその個別的な人間の悲喜交々は、おそらく文学という器では普遍性を持ちうるのだろうし、そこに文学の豊かさがあると信じている。
この時とスタンスとしては変わってはいない。
ただ志向する方向性は、より病そのものの病相に踏み込む形となった。
この距離感がまだなかなかうまく測れない。知覚する世界を詠めばそのまま病を描くことになるのか、あるいは自己と病との線引きをいかにするかなど、一言で療養詩歌と云っても、そのあり方はまだまだ模索の余地がある。
そのもどかしさと、新たな可能性を感じながら短歌を詠んだ。
それから休憩時間にはダージリン1stフラッシュと、GODIVAのチョコレートでお茶をした。
まさやまさんはコーヒーとチョコレートでお茶をしたと写真を送ってきてくれて、それからさらに作業をして、会はお開きとなった。
まさやまさんも仕事の合間を縫って付き合ってくださったので、長話はせずにお別れしたけれど、彼女とはまたいずれ短歌読書会をしようと提案してみようと思っている。
共通の知り合いである主人も参加の意欲を示しているので、また夜ごろに連絡してみるつもりだ。
そうしてつながりを得ながら創作をつづけていられることにまずは心から感謝したい。
コロナ禍以降の創作のあり方の変化
コロナ禍で小説がなかなか読めなくなり、また書けなくなった。
その中でできることと云えば詩歌を作ることで、こちらはコロナ禍前よりも盛んになった。
私が主催するおりひめ歌会も始めたし、ココア共和国に投稿を始めて佳作入選することも増えてきた。
先日書いたように、NHK全国短歌大会でも入選の内定を得ることができた。
ただ、それまでが平坦な道のりだったわけではない。小説講座でなかなか良いプロットを出せなくて、講師の先生から「これではプロになれませんよ」と云われたのはショックだったし、小説の道に見切りをつけざるを得なくなった。
先日読んだ一田憲子『日常は5ミリずつの成長でできている』に次のような文言があった。
以前、為末大さんにインタビューをさせていただいたとき、「今の人生の横に、もう一本の道がある、ということに気づけば、生きるのがラクになる」とおっしゃっていたことを思い出しました。
──一田憲子『日常は5ミリずつの成長でできている』大和書房、2021年、p54
小説の道しかない、とこれまではずっと思ってきたし、周囲からもそう期待をかけられ続けてきて、そのプレッシャーを感じてもいた。
それでも一旦コースアウトした時に、私を支えてくれたのは、趣味で10年ほど続けていた詩と、まだ詠み始めてまもない短歌だった。
以前、ホリエモンの『多動力』を読んだときに、随分と影響を受けた。彼の人柄はそこまで好きになれないし、彼の思想やそのフォロワーが必ずしも良いとは思えない。
さまざまなスキルを掛け合わせて、それぞれのスキル習得に100時間時間を費やすことで、オンリーワンの人材になれるというのがこの本の趣旨だ。
ビジネスマン向けに書かれた本ではあるけれど、創作にも十分生かせる刺激的な内容だった。
もう何年も前に読んだきりの本だけれども、その影響を少なからず受けている。
自分には小説しかないと思い詰めていたら、よほど苦しかっただろうと思う。現にこの数ヶ月は随分と思い悩んだりもしたけれど、それでもココア共和国での佳作入選がつづき、「私には詩歌の道もある」と思えたことが、結果的に身を助けた。
ココア共和国には本当に感謝しているし、自分の居場所を与えてくださったことをありがたく思っている。
詩歌の道はまだまだ歩み始めたばかりで、インプットも現時点ではまだ少ない。
それでも必死になって詩歌を読んで、もっと鑑賞力を高めて地力をつけたい。
短歌を誦じて覚えている主人に短歌読書会に誘われたので、さっそく歌集を選んで読み合わせられればと思っている。できれば主人とも旧知の仲であるおりひめ歌会のまさやまさんも誘いたい。
そうして他者との関わりの中で短歌を読めば、さらに読解力も高まるだろうと期待している。
小さな輪ではあるけれど、それでもこうした地に足のついた輪を大事にして、さらに詩歌に親しみ、自分自身の創作の向上につなげていきたい。
最近買ったリトルプレスと所感
はじめに
ここのところTwitter経由でリトルプレスをお迎えすることが増えてきました。
コロナ禍もあり、また基礎疾患を持っているため、なかなか美術館や画廊に足を運べない状況が続いていて、そういう時にWEBで展示をしてくださったり、通販で画集を買えるようにしてくださる出店者・画家の皆様には本当に感謝しています。
日香里『BLUCANILLO』
日香里さんの作品は、以前お迎えした石倉和香子訳『リルケ詩集』の装画として知って、それからファンになりました。
先日は個展BLUCANILLOの告知ツイートをTwitterで見かけて、宮沢賢治ファンとしては、ぜひ手元に欲しいと思ったのでした。
各所で展示があり、そのいずれもに伺うことはできなかったのですが、書店・草舟あんとす号の通販で作品集と銅版画の「チケット」をお迎えすることができました。
読んだ感想はこちら。
銀河鉄道の夜がテーマで、静謐で美しい絵画の数々に魅了されました。
少年たちの柔らかで物憂げな表情がまた素敵。
宮沢賢治の詩をモティーフにしたカードもセットでうれしかったです。
日香里さんの作品集は『リルケ詩集』と合わせてこれで二冊目。さらに蒐集していきたいです。
日香里さんは気になっている皆川博子展にも出展なさるということで、できれば会期中に販売される小冊子を手に入れたいなぁと考えています。
フランスガム『幻想曲』
フランスガムさんの作品はかねてからTwitterで拝見していて、心惹かれるところが多かったので、草舟あんとす号で販売されていた絵本と、クリスマスカードをお迎えしました。
絵本はまだ読めていないのですが、天使のカードはしばらく飾っていました。
クリスマスムードを高めてくれる、素敵でかわいらしいカードで、飾っていて心が癒されました。
それから先日安曇野にあるギャラリーで個展が催されると聞いて、ぜひ画集を手に入れたいと思っていて、無事にお迎えすることができました。
【展示のお知らせ】
— フランスガム (@gumjapanese) 2021年12月22日
フランスガム個展《幻想曲》
2022.1.20木–2.5土
open 木金土 11:00-16:00
at 月とビスケット.(安曇野)
新しい年
安曇野の青い家に流れる小さな幻想曲の調べをお聴きいただけたら嬉しいです。https://t.co/sCdwEzpB4s pic.twitter.com/Qj31Y1w6jG
こちらは中身をきちんと読んで、外国のファンタジーの絵本のような雰囲気に魅了されました。
外国の絵本のように可愛らしい一冊。
甘いお菓子を彷彿とさせる絵の数々と、少し不思議で、神話的なストーリーがマッチして、幻想曲から生まれたファンシーな空想の世界を味わうことができる。
疲れ切った一日の終わりに優しい夢を見せてくれるかのような絵本だった。
おわりに
コロナでなかなか美術鑑賞をすることができずにいて、芸術を愛する身としてはなかなかつらいことが多いのですが、それでもこうして通販の対応をしてくださるのは大変ありがたいことだと感じます。
なかなか原画はお迎えできませんが、今後とも微々たるものながら、推し画家の方々の作品をお迎えしたり、応援したりして、少しでも日々に彩りをもたらしていくことができればと考えています。
またコロナ禍が明けたら美術館や画廊にも足を運びたいですが、私設の美術館や画廊は困難な状況下にあるとお察しいたします。
私は学生時代は毎週のように都内の画廊に通って、その経験は自分の創作の血肉となっていると実感しています。
画廊という文化を今後とも残すためにも、わずかばかりながらでも応援をしていきたいです。
やっぱり紙の本がいい
先日、電子書籍で以下の本を買った。
買ってから、『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』は再読した。
[rakuten:nitori:10237133:detail]
しかしどうにも知識の定着感が薄い。
アンデシュ・ハンセンによると、電子書籍よりも紙の本の方が知識の定着率が高いそうだ。
それに加えて22時以降の夜間は電子機器を触らないと決めたので、どうしても電子書籍で読むのであれば、kindleリーダーを使うことになる。
私は旧型のものを持っているのだけれど、それだと随分と読みづらい。
かといって上記の理由でiPadを使うのは憚られる。
iPadだと目が滑ってうまく読めないということがこれまでにも度々あり、kindleは今の私の生活には向いていないのではないかと思い至った。
ただでさえ最近は読書意欲が落ちていて本が読めない。
電子書籍であれば開くまでのエネルギーをそこまで要さないだろうと思っていたのだけれど、紙の本が手近な目につく場所に置いておけるのに対して、電子書籍は電子機器を開かなければならない。これがどうにも億劫なのだ。
ここのところ本棚がいっぱいいっぱいで先日整理をしたものの、まだまだ本が多い。軽めの本であれば電子書籍を使ったほうが、本棚のキャパシティを気にせずにいられるだろうと思っていた。
しかし今の生活形態だと、デメリットがメリットを上回ってしまう。
そういうわけで、上の本は紙の本として書い直すことにした。
授業料になってしまったけれど、手近に読みやすい本のある生活は、弱っている時に手に取りづらい本ばかりに囲まれた生活よりはよほど良いのではないだろうか。
以前読んだ借金玉『発達障害サバイバルガイド』にも、弱っている時に軽めの本を読む効用が書かれていた。
軽めの本ばかりを読んでいると、その分自責感も募るのだけれど、それでも何も読まないよりは、あるいはスマホをだらだら見るよりは、少しでも中身のある本を読んだ方がいい。
加えて紙の本であれば処分することもできるのだし、あまり臆せずに軽めの本を紙の本で買う習慣をつけていきたい。
NHK全国短歌大会の内定通知が届きました
第23回 NHK短歌大会の最終選考で、内定したとの知らせが届きました。
まだ最終的な結果はわからないのですが、ここ一年ほど集中的に短歌を詠んできて、なかなか成果が見えないこともあり、自分の短歌に自信を失ってしまうこともありました。
療養詩歌を掲げて詩や短歌を書いたり詠んだりしてきたものの、それは必ずしも評価に値するものではないのではないかという疑念や、これまで通り耽美的な作風の方がキャッチーでわかりやすいのではないかと何度も疑い、自分の進んできた道に自信が持てずにいました。
そのような中でも、短歌ユニット・おりひめ歌会でお相手のまさやまさんに丁寧な評をいただいたり、作歌のモチベーションを保つきっかけをいただきながら、なんとかここまで来ることができました。
まだまだ自分の理想とする短歌にはほど遠く、日々拙いなと思いながら詠んでいます。
それでもこうして報いていただけたことは何よりの力となりますし、先日は笹井宏之賞に投稿したものの落選した『病めるヒュプノスの夏』をお買い上げいただいて、大変励みになりました。
第四回笹井宏之賞落選作品50首を収めた短歌の折本です。
病める夏の日々を詠んだ、ゴシックな療養短歌を収めています。
この恋も忘れてしまう錠剤は不老長寿の薬となって
「しにたみのおさしみ」きみに告げたいの「おさしみ」としか云えないままで
ハルシャギク世界の果てをも埋め尽くし燔祭の焰を待つ初夏
今回NHK短歌大会に投稿した作品の最終結果はまだ分かりませんが、生前NHK短歌会に度々投稿しておいでだったという、萩原慎一郎さんの『滑走路』は私の愛読書です。
今の私の実力はまだまだ遠く及ぶものではなく、拙いながらも日々作歌に励んでいますが、今後とも目一杯歌集を読み、また作歌をつづけていきたいです。
かもめ作業会からおりひめ作業会へ
さて、メンバーに掛け合ったものの、多忙ということもあり、メンバーの都合がなかなかつかないので、今回の作業会はお流れになるかと思われた。
しかしメンバーのひとりで、私が主宰している短歌ユニット・おりひめ歌会のお相手のまさやまさんが参加したいとおっしゃったので、「おりひめ作業会」としてふたりで開催することになった。
概要としては前回書いた内容とあまり変わらない。
◆休日 1〜2時間程度(50分〜2時間ぐらい)
◆作業内容
自由
勉強・作歌・作詩・読書・ブログ執筆など
◆途中退出・休憩いつでも可
◆進捗報告・完成物をLINEに投稿
ふたりで行うということもあり、時間は大幅に短縮することにした。
この案を持ち出したところ、まさやまさんから日程と時間の調整があり、2/14の14:30〜15:30に行うことになった。
時間は1時間程度を希望したいとのことだったので、1時間の作業会となる。
私個人の作業内容としては、作歌および作詩ができれば良いなと思う。
歌会のための短歌がまだなかなか詠めていないのが気がかりだったし、完成したものをシェアしたい。
1時間という時間帯であればさほど負担なく行えるだろうし、またやってみた結果の振り返りをこちらのブログに投稿できればと思う。