うつ病&PTSDサバイバーでも希望は捨てない

PTSDの再燃によるうつの悪化でまともに眠れない日々がつづいている。

疲労と不全感と絶望感で朝方まで徹夜して、力尽きて眠る日々がつづき、心身ともに疲弊しきっている。

PTSD再燃のきっかけは別のSNSでのネトストだったけれど、Twitterにもいられなくなってしまったし、ネットのつながりはほとんど絶えて、リアルでつながっていた友人とはさまざまな事情で疎遠になり、親は毒親、主治医は無神経な発言ばかりするので頼れない。

PTSDの症状である人間不信と疎外感と孤独感でつぶれそうになっている。

絶望的な日々を送っていて、前回一方的に話を中断された相談窓口に相談する気にもなれず、希死念慮に苛まれつづけている。

……ということを日々日記に綴っている。

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私は今は小説も書けないし、プロの詩人や俳人を目指せるほどの腕前は持っていないし、専業主婦としての役目もまともに果たせないし、この社会にとってはいなくてもかまわない存在だし、何ら生きている意味も価値も見出せない。

何のために生きているのかわからないまま、すがりつくようにむさぼるように本を読んでいる。

そうして出会った言葉の数々にかろうじて生かされている。

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味わいたくない者は初めから希望を持たないのが宜(よ)い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却(かえ)って期待という如きものである。

本来の希望とは「決して失われることのないもの」であり、それは「生命の形成力」だと三木はいいます。生命の形成力とは、生きることを形成する力です。生命をつなぎ、人生を紡ぐという意味です。
どんなに絶望的な状況にあっても、人は希望を持つことができます。希望には人生を拓き、人生を変える力があります。太平洋戦争に突入することはもはや避けられないという状況下で、これは力強いメッセージだったでしょう。
ナチス強制収容所での経験を綴った『夜と霧』の著者、ヴィクトール・E・フランクルは希望が生命の形成力であるということを、身をもって示した一人です。彼は絶望的な状況にあっても希望を失わず、収容所で奪われた学術書の原稿の再現に取りかかったり、収容所での経験をメモしたりしていました。それが出版できる日が来るとは誰も思っていなかった時にです。しかし、希望が彼を生かす力になりました。それを元に書き上げたのが『夜と霧』です。
──岸見一郎『100分de名著ブックス 三木清 人生論ノート 孤独は知性である』NHK出版、2021年、p44

 

 

断念することをほんとに知っている者のみがほんとうに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学智慧(ちえ)であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。

多くのことを諦めたけれど、最後の最後に残ったものについて「これこそ自分が本当に希望していたものだ」と思えるのなら、どれほど多くの夢を諦めたとしても、夢を叶えた人生だといえるでしょう。逆に「あれもできなかった」「これもできなかった」と、いつまでも後悔する人は、今という時間や人生を棒に振っていることになります。諦めることが放棄することだとしたら、三木のいう「断念」は真の希望につながります。たとえ長く続けてきたことであっても、それが自分に向いていないと分かった時は、きっぱりと断念し、違う道を選ぶ勇気を持ちたいものです。
──岸見一郎『100分de名著ブックス 三木清 人生論ノート 孤独は知性である』NHK出版、2021年、p46

 

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

  • 作者:諸富 祥彦
  • 発売日: 2013/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

フランクルには、自分が自由の身になったら、あの書きかけの原稿──上着のポケットにひっそりとしのばせ、これだけは奪われまいとしたものの、“最初の選抜”の時に奪い取られたあの原稿──を仕上げて世に問うという目標がありました。自分の最初の著作を刊行することは、彼自身の夢であり目標でもありましたが、日々の臨床活動の中で人々の苦しみに接していた彼は、自分の著作は苦難と闘っているすべての人から待たれている、みなが苦しみから救われる方法を求めている、だから何としてでもこの本を世に出さねばならない、という使命感に駆られていたのです。

なんとフランクルは収容所の過酷な生活の中で、原稿の修復を行っていました! 夜寝る時間も惜しみ、ひそかに手に入れた小さな紙片の白地を塗りつぶすようにして、びっしりと文字をつづっていたのです。収容所に入った時に失われた原稿を、忘れないうちに復元しようとしたのです。

強制収容所という同じ状況下にあっても、ある人は死に向かい、ある人は生に向かいました。自分の未来に希望を抱くことができるか否か──そこに、人々を生と死に分けるものがあったのです。

──諸富祥彦『100分de名著ブックス フランクル 夜と霧』NHK出版、2013年、p35

 

そうして自分自身にとっての希望とは何なのかということについて向き合い、これまでにも記事を書いてきた。

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それでも一度きり書いてそれでやめるのではなく、何度も何度も紙のノートにやりたいことのブレインストーミングを書き出しながら、自分の希望をたしかめるように文字に表わしてきた。

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書き出しているうちに、自分にとって今できることや、自分軸でやりたいことが明確に見えてくるようになり、同じことを何度も書き出すことで、希望をたしかなものとして抱くことができるようになってきた。

また何度も書くうちに新たにやりたいことが見つかったり、気持ちが揺らぐことはあっても私にはやりたいことがあると強く思えるようになった。

このベースを下支えしてくれたのは茂木健一郎『「書く」習慣で脳は本気になる』だった。

「書く」習慣で脳は本気になる

「書く」習慣で脳は本気になる

 

 ともすれば同じことばかり書いてなかなか進歩していない自分を責める気持ちも湧いてくるのだけれど、今はひとつでも多くの希望を見出していきたい。

ブレインストーミングはそうした自己検閲を離れて自由にアイディアを出すものだから、「そんなことを書いたって体調不良を云い訳にして、原稿もろくに進んでいないじゃないか」「どのみち小説なんて今の精神状態のお前にはまだ書けないよ」「どうせお前はプロになれるわけないよ」と思いながらも、それでも手を動かして書く。

そのうちのどれぐらいが実現するかは分からないし、実現に向けて精一杯励んでいるけれど、すべてを達成することはできないのかもしれない。

それでも自分自身に希望を語ることは、間違いなく私の糧になっている。

 

また同著者の『孤独になると結果が出せる』にも勇気をもらった。

孤独になると結果が出せる

孤独になると結果が出せる

 

結果を離れて、自分の内にあるものをトコトン追求すればよいのです。自分の外にあるものが自分のコントロールの範囲外だということを十分に認識し、結果にはとらわれないことが大切です。
だからといって「結果を出さなくていい」というわけではありません。最終的な結果ばかりに意識を向けすぎないようにし、行動の一つひとつにきちんと目を向けるのです。
結果が得られるのは、「これをやりたい」「こんなふうにやってみたい」という自分の内にあるものをトコトン追求した末に、それが実現したときです。その実現には、無数の行動が不可欠。無数の行動をしなければならないから、時間もかかります。しかもその一つひとつの行動は、極めて地味なものです。
この地味で単調な一つひとつの行動、それ自体を「報酬」にできると、先の見えない長い道のりも落ち着いた気持ちで歩むことができます。行動すること自体が楽しくなり、極端に言うと、結果などおまけのように思えてくるのです。
──茂木健一郎『孤独になると結果が出せる』廣済堂出版、2020年

茂木健一郎の本を読むのはこれで二、三冊目だけども、基本的には性善説に立っている人なので、否定的な気分に陥っている時でも、ぽんと楽観的な言葉を手渡してくれる。そのポジティブシンキングにめいってしまうこともあるし、「そう簡単に云うけど、うまくいくわけないよ」と思うこともある。

それでも彼の言葉のいくつかを実践したことで、たしかにわずかながらも希望を見出すことができた。

 

そうして本の数々に励まされながら、日々わずかながらでも詩を書き、あるいは文章を書いているうちに、KDPとして出版した二冊の散文詩集が売れたという報せが入った。

挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。

-収録作品-
マディソン

逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒

 

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 

耽美主義を掲げ、SF・中華幻想・仏教、そして著者のふるさとへの憧憬をテーマとした、第二散文詩集です。
以下の十編の詩を収めています。

-収録作品-
青磁の爪
白狐譚
鶯姫
エリザベート・バートリの末裔
いにしえのうた
最後の手紙
人体標本
真珠姫の恋
補陀落渡り
地獄の白百合

evie-11.hatenablog.com

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正直なところ、持病が原因でTwitterを離れざるを得なくて、本当につらい想いをしたし、未だにそのつらさはつづいている。

本が売れないかもしれないと思うこともあったし、KDPでは活動するのに限界があると決めつけていた自分がいた。

Twitterでは作品に対してコンスタントに評価をいただいていたし、その基盤を失った意味は決して小さくはない。

 

日々心が折れそうになりながら、それでも折れずに発信しつづけたことで、こうしてお手に取っていただく機会があって、それはもちろん読者の方のお力添えのおかげだけども、最終的には自分自身が決して折れなかったからなし得たことなのだとも思う。

私はメンタルはあまりにも弱いし、弱音ばかり吐いているけれど、それでもその根底にある精神的な持久力はそう簡単に折れるものではないのかもしれない。

そうでもなければ18歳のときの自殺未遂は完遂していたかもしれないし、ここまで生き延びることもまずできなかっただろう。

私自身を取り巻く環境は何ら変わっていないし、私自身が孤独であることに代わりはない。

それでも粘り強く希望を抱きつづけたい。

どんなに絶望的な状況に陥って、希死念慮が頭から離れなくても、それでも生きていくことをあきらめたくない。

たとえ小さくかぼそい光であったとしても、心に灯火を灯して、日々をサバイブしていきたい。

『挽歌-elegy-』をお買い上げいただきました&KDP裏話

またまた電子書籍で出版しているオリジナルの散文詩集が売れました。

お買い上げいただき、ありがとうございます。

挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。

-収録作品-
マディソン

逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒

 

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 
耽美主義を掲げ、SF・中華幻想・仏教、そして著者のふるさとへの憧憬をテーマとした、第二散文詩集です。
以下の十編の詩を収めています。

-収録作品-
青磁の爪
白狐譚
鶯姫
エリザベート・バートリの末裔
いにしえのうた
最後の手紙
人体標本
真珠姫の恋
補陀落渡り
地獄の白百合

 

kindle unlimited会員の方は追加料金なしでお楽しみいただけます。

ぜひお手に取っていただければ幸いです。

 

同じアナウンスの繰り返しだと芸がないので、KDPでの出版に至った裏話を少しばかりしておこうかなと思います。

もともと第一散文詩集『挽歌-elegy-』は紙の同人誌で、第二散文詩集『真珠姫の恋』も同人誌として出すつもりでした。

しかし長引く体調不良でイベントへの直参が難しくなってしまい、自家通販もなかなかコンスタントに行えなくなってしまいました。

そういう人間にとって、KDPは最後の頼みの綱でした。

もちろん紙の本として同人誌を作れるのがベストなのですが、もともと少部数しか刷らない上に、在庫も抱えてしまいがちで、同人誌を作るのが大きな負担になっていました。

 

また電車での長時間の移動など、イベントへの参加そのものも持病がある人間にとっては負担がかかりますし、委託頒布も考えましたが、その分コストもかかります。

さらに云えばコロナ禍の今、多くのイベントはオンラインでの開催になっていたり、中止となったりと、私のように小規模な個人サークルでは在庫を抱えるリスクは平時よりもさらに増しているのが現状です。

気前良く印刷所を応援しよう! となればいいのですが、そこまでの余力は私にはありません。

さらにSNSでの宣伝に力を割いたり、同人作家同士で密な交流をするのも苦手で、Twitterを通じて何かとストレスを感じていたのもたしかです。

 

KDPはそれらの問題点をクリアしてくれましたし、コロナ禍を通じて、私自身電子書籍を手に取る機会が増えました。

たとえ捌ける部数は多くはなかったとしても、KDPならば在庫を抱えることもなく、また製本作業も簡単なので、印刷所に入稿するまでのさまざまなストレスがかかりません。

誰の手を煩わせることもなく、自分ひとりの力だけで出版できるという点も大きな魅力でした。組版などの細かな設定に煩わされることもありません。

 

なによりもともとオン専に近い立ち位置でしたし、たとえ規模は小さくとも、自分に無理のない範囲で同人活動をしていくのが私にはちょうどいいのかなと感じています。

今後ともKDPを活用して、図書館にまつわるエッセイ本や、詩歌集などを出版していこうと考えています。

evie-11.hatenablog.com

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現在連載中の散文詩集の方にもここのところ毎日評価をいただいていて、300PV、♥38を突破しました。

kakuyomu.jp

上のふたつの散文詩集とは性格を異にするので、お口に合うかは分かりませんが、併せてお読みいただけるとうれしいです。

いずれこの散文詩の中から選り抜いたものを新たな詩集として編む予定ですが、まだもうしばらくかかりそうです。

ひとまず目標は自作の俳句×散文詩×詩歌の書評という内容で構成された詩歌本を作ることなので、そこに向かって励みたいと思います。

居酒屋という異世界と脱SNS

日記でさまざまな感想を書いてきたが、ふと裏世界ピクニックのことをぼんやり思って、しばらく「打ち上げ」というものに縁がないなと気づいた。

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専業主婦で仕事上の付き合いがないということもあるが、今はコロナ禍で居酒屋で人と会う機会もほとんどない。

学生時代は飲み会が大の苦手で、コミュ障でまったく話せないし、お酒も飲めないしで、ただただ苦痛だった。飲み会が終わってひとりで泣いていたこともある。

主人と同棲するようになってからは、飲み会がいくらか楽しくなった。

コロナ禍の前にはちょくちょくチェーンの居酒屋へ飲みに行って、私はノンアルで乾杯をして、延々と文学談義に花を咲かせたものだった。それももう久しくやっていない。

かつて撮った写真を供養しておく。

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もちろん家でいただくごはんもいいのだけれど、人間にはどうしてもハレという場が必要なのだなと感じる。

居酒屋だから話せる話があるし、場の雰囲気で行き着く話もある。

たとえお酒を飲んでいなくても、いくらか口が軽くなるし、主人が饒舌になるさまを観ているのも楽しい。

気心の知れた間柄だからこそ飲み会というものは楽しいと感じるのだと、当たり前のことを思う。学生時代は飲み会の楽しさなんて、まったく分からなかった。

居酒屋という空間は私にとってある種の非日常で、ひとつの異界なのかもしれない。

家飲みとはまったく違う魅力が居酒屋にはある。

 

またあの日常は戻ってくるのだろうか。今は先が見通せない状況で、ただただ暗い未来しか思い描けない。

この一年ほぼずっと最寄り駅圏内から出ない生活を送ってきた。

インドア派の私にとってはさほど苦痛ではないと思っていたこの自粛生活も、長期に及んでいて、さすがに疲れを感じている。

アニメに描かれる日常が現実からあまりにも乖離していることに、癒しを感じながらも、どこかで絶望しているのかもしれない。

これまであまり自覚はなかったのだけれど、私の場合はPTSDも自覚のないまま十年後に再燃しているという現状があるし、コロナ禍の疲れも遅れてやってきたのかもしれない。

とにかく今は非常時で、健常者でもいつ心を病んでもおかしくはない状況なのだと思う。主人もいつ参ってしまうか、明日のことは誰にも分からない。

せめて主人だけは健康で健やかにいてほしいと思う。

 

コロナうつにどれほど効果があるかは分からないが、下園壮太自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』はおすすめの一冊だ。

主人に貸しっぱなしでまだ戻ってこないので、詳細については触れられないが、とにかくムリ・ムダ・ムラをなくすことを心がけると良いという趣旨のことが書かれている。

特に私が注目したいのはムリとムダで、高すぎる目標を掲げて消耗するなどの無理をしないのはもちろん、SNSやネットで無駄に感情を浪費しないようにしたい。

そういう点でもTwitterから離れたメリットは少なからず大きいと思っている。 

PTSDによってもはや戻るに戻れない以上、Twitterのない世界で生きていくより他にどうしようもない。

そういう点では従来の脱SNSや脱スマホといった趣旨の本はできるだけ頭に入れておきたい。

現時点で役立ったのは『デジタル・ミニマリスト』と『僕達が毎日やっている最強の読み方』、それから村上春樹の『村上さんのところ』で、後者二冊は2010年代半ばの時点ですでに脱ネットについて説いている。

村上さんのところ

村上さんのところ

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 『デジタル・ミニマリスト』では特に音声による会話が有効なことと、実際に手を動かして作業することの有意義性が説かれていて、私自身もできるだけLINEを使いすぎず、電話で話すことを心がけている。

また『僕らが毎日やっている最強の読み方』では、2016年の時点でインテリ層が脱ネットを志向することが予測されていて、池上彰佐藤優両氏はネット断ちをして読書時間を確保する意義を強く説いている。

村上春樹に関しては以前ネットでも話題になったように、SNSからははじめから距離を置いている人なので、その点はとても信頼できる。

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日々言葉によって炎上を繰り返すSNSに対して、言葉を扱うプロである作家の説くことはあまりに重い。そういう役割を果たしているという点で村上春樹のことは深く尊敬している。

不眠の音楽

不眠の音楽

何もかもがやぶれていく夜に、あなただけがたしかな言葉をくれる。十二年前から変わらずに。どうしようもないよね、生きていたってさ、何も希望を抱けないし、なんら幸せになれやしない。手が届かない光は遥か彼方で明滅し、それもまもなく塗りつぶされて見えなくなる。呪わない代わりに愛さない。憎まない代わりに信じない。そうして曖昧な境界線の上に立って、かろうじて生きていくことを強いられている。一切を信じないという純粋さだけを信じている。そうして不信に溺れて真っ暗闇の世界の中であなただけは私と同じ地獄に立っていてくれる。轟音のさなかで絶叫し、痛みを分かち合う錯覚に安堵する。言葉を越えたエモーションだけが音楽となって夜の底をひた走る。明かりはつけなくていいよ。そうして重ね合う言葉だけが形を失ってほどけて、ひとつに溶け合うという幻想すらも打ち砕かれて、記憶のことごとくが鋭利な破片となって飛び散って私を傷つけるから、せめてその鋭角だけは鮮度を保っていてほしいと願う。幾たびも血を流す場所の名前なんて知らない方がよかった。

 

kakuyomu.jp

 

昨夜は結局朝方の四時半まで眠れずに詩を書いた。

深夜に詩を書くのと、私はほとんどお酒をたしなまないが、飲酒しながら与太話をするのはほぼ同義だろうし、いずれにせよ正気の沙汰ではないのだけれど、それでも書かないとこの夜を乗り越えられそうになかったのだった。

この詩はTK from 凛として時雨凛として時雨を聴きながら書いて、ぼんやりとmib126を使ったエヴァMADのことを思い出し、シンエヴァは観ていないけれどあの頃のエヴァは良かったな、などと思っていた。

youtu.be

 凛として時雨と出会ったのは18歳の頃で、もう12年も前になる。

ちょうど私がメンタルを著しく病みはじめた頃のことだった。そうした時に出会った音楽というものは一生ついて離れないのだろう。武道館ライブにも足を運んで、時雨のライブはそれきり行けなくなってしまったけれど、am 3:45の演出が美しかったのを未だに覚えている。

am 3:45

am 3:45

  • provided courtesy of iTunes

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どんな時でもTKだけは決して裏切らずに絶望を、そして憎しみを歌いつづけてきてくれた。それだけが私にとっての唯一の救いだった。エッジの効いた轟音とシャウトは私の孤独を満たしてくれた。だからTKのことはこれからもずっと好きだと思う。

「明かりはつけなくていいよ」と書いたのはほんの偶然だったけれど、Sitai miss meの歌詞に「明かりはつけていて」とあったのを今思い出した。

Sitai miss me

Sitai miss me

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もともとこの作品を性愛の詩にするつもりはなかったのだけれど、PTSDの症状に苛まれ、あるいはさまざまな過去の恋愛の破片が刃となって心を傷つけつづけている今、これを書かずにはいられなかったのかもしれない。

考えてみればこの詩集に収めた詩の多くは恋愛にまつわるもので、私の意図したところではないのだけれど、恋愛と自分自身は切っても切れない関係にあるのだろう。

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おかげさまで300PV、♥36を突破して、散文詩の模索をつづけてきて今ひとつ手ごたえを感じられずにいたのだけれど、評価していただいたことで方向性がおぼろげながら見えてきた気がする。

まだまだ詩の道は果てしなく遠いし、自分の詩は未熟さの方が勝るけれど、これからもたゆまず詩を書いていきたい。

そしていずれはまたKDPで詩集を作りたいと考えている。

過去作とはまた趣の異なる本になるはずだ。

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 
挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

耽美主義という古巣から少し距離を置いて、はじめのうちは不安ばかりに苛まれていたけれど、それでも創作をしている人間はオリジナリティを担保させるべく、少しずつでも作風をアップデートさせつづけなければならないということは村上春樹『職業としての小説家』でも触れられていたとおりだ。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 私はまだまだその途上にあって、さらに詩を磨いていかねばならない。

素人ながら、力及ばずながらでも、それでも自分の両足で立って自分の志す道を歩んでいきたい。

第二散文詩集『真珠姫の恋』をお買い上げいただきました。

 嘉村詩穂名義で出版している、第二散文詩集『真珠姫の恋』をまた一冊お買い上げいただきました。

まことにありがとうございます。

真珠姫の恋

真珠姫の恋

 

耽美主義を掲げ、SF・中華幻想・仏教、そして著者のふるさとへの憧憬をテーマとした、第二散文詩集です。
以下の十編の詩を収めています。

-収録作品-
青磁の爪
白狐譚
鶯姫
エリザベート・バートリの末裔
いにしえのうた
最後の手紙
人体標本
真珠姫の恋
補陀落渡り
地獄の白百合

 

第一散文詩集『挽歌-elegy-』も出版中です。

挽歌-elegy-

挽歌-elegy-

 

罪人の冠を頭にいただき、人の子を惑わしたすべての女の恨みを纏って、私は消えてゆく。
嘉村詩穂の個人詩集。 個人サイト「紫水宮」と主宰している文芸サークルかもめのweb文芸誌「かもめソング」に発表した詩に、書き下ろしを加えた散文詩集です。
耽美主義を掲げ、表題作となった「挽歌」を中心に、主に和風・東洋風の幻想的な詩を収録しています。

-収録作品-
マディソン

逝春(せいしゅん)
よみひとしらず
或神話研究者の最期
挽歌
或楽師の書簡
緋鯉抄
調香師の終末
秋菊
夕波千鳥
秘仏
雪女郎
墨色の使徒 

 

いずれもkindle unlimited会員の方は追加料金なしでお楽しみいただけます。 

 

これらの散文詩の多くは主宰している文芸同人サークル「かもめ」で書いてきたもので、月一度の更新を一度も滞らせることなく詩を書いてきた成果となっています。

第二詩集は第一詩集と比べてテーマごとに分けているということもあり、また第一散文詩集よりも抒情的な色合いが濃いかもしれません。

耽美主義かつ幻想的な作風をお求めな方には第一散文詩集『挽歌-elegy-』をおすすめしたいです。

紙の本での頒布がなかなか叶わない状況なので、是非この機会に電子書籍をお手に取っていただきたいです。

 

一応耽美主義な作風での詩集は今のところこの二冊でいったん終わって、今は心象風景をベースにした抒情的な散文詩を書いています。

おかげさまでこちらも300PV、♥30を突破しました。

kakuyomu.jp

読んでくださった皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。

 

またこの詩集とは別に、新たな詩歌集を作ってKDPで出版しようと考えています。

その内容は、自作の俳句とそれに呼応する散文詩、それからさまざまな詩歌の書評を載せたものになりそうです。いわばセルフコラボの産物になりそうです。

まだ原稿の初稿の段階なので、もしかしたら多少の変更はあるかもしれませんが、完成に向けて励んでいるところです。

以前カルテットという詩歌雑誌を買って読んで、それがとても感じるところが多くて、自分もそういう本を作りたいと強く思ったのがきっかけとなりました。

 アマチュアの範囲内ではありますが、もともと俳句×散文詩のセルフコラボはカクヨムでも公開していて、いずれ本にしたいという想いがありました。

kakuyomu.jp

今のところ俳句は揃っているので、散文詩を日々書いているところです。

また進捗の方も随時書いていければと思います。

 

家族からは一冊でも売れればプロだよと云われたのですが、私自身は賞を受賞したわけでもなく、投稿もしていないので、あくまでもアマチュアだと思っています。

ただ十年間詩を書きつづけてきて、詩の魅力はいつまでも尽きないなと感じています。

また新たな道を模索しつつ、いずれは投稿などもできればとうっすら考えていますが、もう少し手探りで自分の詩作の旅をつづけていきたいと思います。

泥水を啜ってでも這い上がりたい

GW期間中は裏世界ピクニックを観ていた。

今ひとつハマれずにいるのだけれど、もっと怖いものに触れたくなって、積んでいた坂東眞砂子狗神』を読み返すことにした。 

狗神 (角川文庫)

狗神 (角川文庫)

 

ホラーを読んでいると、描かれる人間関係はいずれも救いがなく露悪的ですらある。

狗神に描かれるヒロイン・美希を取り巻く相関図も決して明るいとは云えない。

土俗的な家族関係や親戚関係の不仲に加えて、男女関係も歪なものとなっている。

ホラーにつきものの怪異現象はむしろおまけのようなもので、物語の屋台骨を構築するのはあくまでも人間同士のネガティブな関係図だ。そこが徹底しているところが好ましい。

 

人間関係におおよそ希望を見出せず、PTSDによる著しい人間不信と恐怖に陥ってSNS全般から遠ざかり、友人との葛藤や、実家との間にさまざまな相克を抱えている私にとって、ホラーに描かれる人間関係は縁遠いものではなく、むしろ近しいものだと感じる。

憎しみ、不仲、嫌悪感や齟齬といった人間関係の負の部分が惜しげもなく披露されるので、シンパシーを感じずにはいられない。ホラーの良いところはそれを徹底して負の方向に掘り下げるところであって、多くの場合救いは描かれない。そこがまた良い。

以前『絶望名言』について何度か書いた。いわばホラーそのものが絶望名言としての性格を持っているのだと強く感じる。 

NHKラジオ深夜便 絶望名言

NHKラジオ深夜便 絶望名言

 
NHKラジオ深夜便 絶望名言2

NHKラジオ深夜便 絶望名言2

 

 物語そのものが絶望に根ざしていて、その救済は安易には与えてもらえない。その重低音のダークアンビエントような世界にいる間はいくらか気が休まる。

 

そうした切実さをもってホラーと向き合うということを、私はこれまでできていなかったし、生来恐がりなこともあって、ホラーは避けてきた。

プロ作家からホラーを書くことを勧められた時にも腑に落ちなかった部分もあって、自分の中でそれをうまく消化し昇華できずに小説を書けなくなってしまった。

しかし絶望の只中にあるから見える光もあるのかもしれない。それは希望と呼ぶにはあまりにも暗いのかもしれないけれど。

Twitterから離れて、より切実な気持ちをもって物語と向き合うことが少しずつできるようになってきた。

思い返せば幼少期はそうした児童書に親しんでいたのだし、20代の10年間をSNSに費やしたことは本当にもったいなかったと思っている。

30代になり、10代20代の頃よりも物語を消化するスピードは遅くなってはいるけれど、それ以上に物語を理解する解像度は上がっていると肌で感じる。

 

持病の悪化もあり、今すぐには小説を書くことは難しいかもしれないが、それでも泥水を啜ってでも這い上がりたい。そのためならば手段を選ばない。

Twitterから離れる他なかったのも、PTSDでやむにやまれずという側面が強いので、どうしてこんなに理不尽な目に遭いつづけねばならないのだとも思うけども、それでも生きられる場所で生きていくしかない。

村上春樹が『職業としての小説家』の中で、次のようなことを書いていた。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 僕はそんなネガティブな出来事に遭遇するたびに、そこに関わってくる人々の様子や言動を子細に観察することを心がけました。どうせ困った目にあわなくちゃならないのなら、そこからなにか役に立ちそうなものを拾い上げていこうじゃないかと(「何はともあれ元は取らなくちゃ」ということですね)。そのときはもちろんそれなりに傷ついたり落ち込んだりしましたが、そういう体験は小説家である僕にとって少なからず滋養に満ちたものであったと、今では感じています。もちろん素敵なこと、楽しいことだってけっこうあったはずなんですが、今でもよく覚えているのはなぜか、どちらかといえばネガティブな体験の方です。思い出して楽しいことよりは、むしろあまり思い出したくないことの方をよく思い出します。結局のところ、そういうものごとからの方が、学ぶべきことは多かったということになるのかもしれませんね。

──村上春樹『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング、2015年、pp222-223

このあまり恵まれない状況を糧にできるのかどうか、今はあまり自信がない。

ただホラーともう一度向き合うために、この二進も三進もいかない絶望は必要なものなのかもしれない。そうして生み出されたものがどこまで人の心に届くのかは分からないけれど、日々鬱々とした日記を書いていて、多くの評価をいただいていることを鑑みると、困難な状況のさなかにある人はきっと大勢いらっしゃるのだろうと思う。

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そういう人々に宛ててホラー小説を書くということなら、力及ばずながらも私にもできるのかもしれない。

おうち時間のすごし方〜創作編〜

今週のお題「おうち時間2021」

家にいてあまりすることがないのでひたすら原稿を進めていた。

 

図書館本エッセイ

現時点で初稿は約1.8万字。書き下ろし部分は現時点で4千字ほど。

全体として2万字〜2.5万字程度を目指したい。

取りかかるきっかけとなったのは、以前住んでいた地域の図書館にまつわるエッセイで、現在住んでいる地域の図書館のことや、コロナ禍における図書館のことを書いておきたいと思って筆を執った。

kakuyomu.jp

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このブログでもたびたび図書館については語ってきた。

私にとって図書館は「もうひとつの家」(知人評)でもあり、かけがえのないアジールなので、その想いのいくらかでも伝わればいいなと考えている。

 

詩歌本

完全書き下ろしの俳句×散文詩×詩歌の書評を一冊にまとめた同人誌を作るつもりでいる。

もともと自作の俳句×自作の散文詩というセルフコラボは過去にも行っていて、それを本にしたいとかねてから考えていたのだけれど、詩の作風が変わりつつあることもあり、構想の段階にとどまっていた。

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また本を作るにあたって、俳句×エッセイにしても良かったのだけれど、自作の俳句にエッセイをつけることが面映く、さらに耽美主義俳句にエッセイがつくと冗長以外の何者でもないので、散文詩をつけることにした。

現時点で俳句は28句、散文詩は3本になっている。さらに散文詩を書いて、詩歌の書評も書くつもりでいる。

本当はコピー本などの小冊子にしたいのだけれど、Twitterをやめてしまって販路がないのでKDPで出すことになるかもしれない。

その場合はやはりある程度の量が必要となるので、来年頃の出版を目標としたい。

とはいえやはり紙の本で読みたいという思いもあるし、ひとまず今年中に原稿を揃えておいて、同時に販路などを模索しつつ、同人誌にできそうならば考えたい。

頒布となるとなかなか難しいが、身の回りの人たちに配るためだけに刷るという手もあるので、柔軟に考えたいと思っている。

 

ブログ原稿

日記は除いて、この記事を含めて現時点で13本の記事を書いている。

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うち2本はまだ仕込んでいる段階で、現時点では公開されていない。

ブログだけは参っていても書けるので、ブロガーとして活動するのは私には適性があるのだろうなと思っている。

このGW中は自粛中ということもあり、毎日更新していた。

他にすることもさしてないからなのだけれど、結果的にブログコンテンツの充実化を図れた意義は大きい。

引き続き執筆に励みたいところだ。