【深夜の文章キャス】自分の力量を把握する

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

療養のため帰省していて、64歳の実父と話していると「まだまだ俺はこんなもんじゃない、俺の人生はこれからなんだ」と口癖のように云います。

しかし、彼に今後の明確なビジョンはなく、家庭の経済的な事情もあまり見えていない様子で、そこに向かって努力をするという姿も全く見られません。

大学院で民俗学を勉強したいのだそうですが、大学院へ行くことが勉強のすべてではありませんし、大学に行かなければまともに本を読めない、勉強をできないというのでは、あまりに他力本願と云わざるを得ません。

民俗学を学びたいのであれば、図書館に通って専門書を読むなり、本を取り寄せて自学自習したり、公開講座に足を運んだりするだけの意欲と実行力がなければ、院進はまず難しいだろうと思います。

 

実際、私は経済的な事情もあって院進を諦めざるを得なかったという苦い背景があり、主人からも「なぜ娘を大学院に入れなかったんだろうね」と云われました。

実際には経済的な事情の他に、健康上の理由もあって、どのみち難しいことに変わりはないのですが。

そうして父から同じ言葉を10年前からずっと聞きつづけてきましたが、その10年間で彼の志す民俗学の本を一冊でも読んだとか、それについて大学で民俗学をかじっていた私と議論をするという場面もなく、我が親ながら、そのような有様では得られるものはないのだろうなと思います。

ブログやKDPでの収益の話をすると羨ましがられましたが、そのためには私は日々多くの時間を割いていますし、毎日3本のブログのいずれかを更新しつづけて、コンスタントにKDPを作っています。

需要や収益のリサーチや分析も欠かしませんし、それが深夜に及ぶこともままあります。

そうしてトライ&エラーを繰り返しながら、とにかく手を動かしつづけること、地を這ってでも本を読みつづけることを自分に課してきました。

ある意味父が反面教師となっている部分は多分にあるのだと思います。

 

何者かとして大成しなければ人生に意味はないという男性たちにいつも疑問を感じざるを得ないのは、自分の能力をどこまで把握しているのだろうかということです。

私は小説で壁にぶつかって一年間作品を全く書けませんでした。それは実力そのものに問題があったという大前提もありますが、体調上の理由や、家庭の事情などもあり、そうしているうちに段々と自分の力量はある程度見定めることができたなと思います。

力量というと、才能の有無だけを指すようですが、経済的な事情や、体調のコンディションの良し悪し、そして家庭の事情など、様々なものが複合的に重なり合って、その人のパフォーマンスに直結しているのだと思います。

 

そのパフォーマンスの高低を把握することは、30代になった私にとって非常に重要なことでした。

20代の頃はそうしたものを云い訳だと一蹴して、ひたすら創作に打ち込んできましたが、30代になると20代の頃のような無理はなかなか効かなくなります。

とにかく持続可能な創作をつづけることと、何者かになれなくても、自分のパフォーマンスの背景にある力量をある程度見極めることは、これから介護の問題を抱えて生きていく上でもとても重要になってくるはずです。

さまざまに制約がある中で、できるだけ自分にとって力を生かせる創作ジャンルを選ぶこと、そして何者かにならねばならないという思いを捨てて、自分の力量を謙虚に受け止め、その力量の中でさらなる模索をつづけること。

それ以外にこれから進むべき道はないのだろうと思います。

私にとって現時点での答えは11年つづけてきた詩歌の道を選ぶということでした。

まだ迷いもありますが、ココア共和国で二ヶ月連続で佳作をいただいたこと、カクヨムランキングに一週間入りつづけたことを前向きに受け止めて、この道を進んでいきたいです。

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これからを見据えて

実家に帰省して、少し懸案することがあり、もしかしたら30代から介護がはじまるかもしれないという不安を抱えています。

ひとまず精神科医の主治医に話して、エビデンスを得てから家族には話すつもりでいますが、祖父母の介護も必要なこともあり、また普段は私は東京にいて、実家は飛行機で移動が必要な地方にあるので、これからどうすべきかなと自分自身を見つめ直してしまいます。

30代が最後のチャンスだと思っているので、ここで小説の道にふたたび戻るのか、それとも詩歌の道をこのまま突き進むのか、迷いもありました。

それでも自分自身の体調のことや、そして今回の介護の問題が間近に迫っているかもしれないという現実を踏まえると、自分自身の体調の波に振り回されることも多い中で、より負担の少ない方を選ばざるを得ないのではないかと思います。

一年間小説を書けなくなってしまって、この間強い葛藤もありましたし、それでもなんとか足掻いて小説を書こうと、何本もプロットを作って小説講座の先生に送ってきました。

それでもなかなかうまくいかず、このまま大きな労力を割いてまで小説を書くことに疑問を感じているのもまたたしかです。

一方詩歌はここのところ好調で、特に詩はカクヨムランキングに一週間入ったり、ココア共和国で佳作として二ヶ月連続で採ってもらえるなど、ひとまず成績と呼べるものは残せているなと感じます。

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いつまでも小説にこだわり続けるよりも、より評価していただけるものを伸ばし、なおかつ、自分にとって負担がいくらか楽な方を選ぶというのは合理的な判断となると思います。

これから先は無理なく、そして楽しくつづけられるジャンルの創作に重点を置いて活動を続けた方が自分にとってはいいのではないかと思い至りました。

小説講座にはプロットを一本送ったままで、お返事次第ではやはり小説を書くということになるかもしれませんが、心身の負担が詩の比ではないレベルでかかるので、やはり長期的に見るとあまり現実的ではないのかもしれません。

ひとまずお返事を待って、それでもダメそうなら、潔く小説のことはここで諦めて、30歳からのスタートとして、詩歌の道に邁進していきたいと思います。

自分の内的な要因というよりは、外的な要因も重なっての決断になりますが、どこかで自分の道は自分で決めねばならず、今回の帰省でそれを見定めたいという想いもありました。

思いもよらぬ介護の問題が浮上したことで、それが決定的なものとなりましたが、自分自身で決めたこととして、今後ともしっかり励んでいきたいと思います。

「不在の音楽」─越えられない夜のために─

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おかげさまでカクヨムランキングに一週間入り続けることができたので、新たに詩を公開しました。

不在の音楽

ここにあるすべてを

轟音だけで破壊してほしい

不在の音楽は力なく無音に支配され

非実在の空想は具象に置き換えられて

意味を失うことを恐れた言葉たちが

スピーカーから唇から街の灯から

絶え間なくオレンジ色で発されつづけて

私の耳は侵食されてゆく

無言の指によって

眠ることを強いられる夜を

多弁な指によって

食べることを強いられる昼を

幾度数えても数が合わない

絶望を奏でる指によって

轟音の鳴り響く夜を

五号のリングの光る指によって

守られつづける拒食の昼を

この手のひらに感じて

虚構だけで形作られた

世界を築きつづけるために

あなたの叫びをナイフに変えて

否という一字を告げる

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私にとって詩は唯一無二の友です。

アンナ・カヴァンが、そしてシルヴィア・プラスが病を患いながら小説や詩を書きつづけたように、私にとって詩は、私が私であるためになくてはならない存在です。

詩がなければ乗り越えられない夜を幾度も越えてきて、今もその困難な夜のさなかにいます。

私の詩が、そうした夜を今迎えている方々にとって、わずかながらでも力になり得れば、これに勝る喜びはありません。

夜をうまく越えられずに、絶望の只中で朝方の夜明けを待つばかりの日々も過ごしてきました。

相談窓口もとうに閉まって、語り合える友もなく、膝を抱えてうずくまるのが精一杯という夜を何度も味わってきました。

絶望というものは、ただひたすらに耐えるものではなく、むしろそこに深く分け入って、味わい尽くすしかないものなのかもしれません。

私の詩に光はなく、ただ味わうばかりの苦味しかないかもしれません。

しかし辛酸を舐めて味わわなければ生まれない詩もあります。

そうした詩を書くに至らない方が幸せなのは云うまでもありませんが、私の持病はおそらく生涯つづくので、今後も幾度となく泣くことすらできない夜を迎えることになるのでしょう。

それでも共に詩があると信じられる限り、なんとか生きてゆきたいと思います。

私の詩が越えられない夜のほんのひとときだけでも、読者の方々の傍に寄り添えることを心から願っています。

詩集「やがて水になるまで」一週間カクヨムランキング入り

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自由詩の詩集「やがて水になるまで」が、詩・童話・その他週間ランキングにおいて

10/8  149位

10/10 141位

10/12 162位

10/14 167位

という結果をいただきました。

ご覧くださった皆様、評価・フォローをしてくださった皆様、ありがとうございました。

自由詩を書くことは、ずっと抵抗があって、これまで散文詩を書いてきたのですが、ほとんど初めて書いている自由詩でこうして評価していただけて嬉しいです。

自由詩を書く後押しをしてくれたのは主人の「ポエムになることを恐れてはいけない。ポエムも立派な詩なんだ」という言葉でした。

私はずっとポエムに抵抗があって、どうしてもそこから離れたいという思いがあり、耽美主義を掲げて、自分から離れたところで詩作をつづけてきました。

しかし療養詩歌を作るようになって、より写実的かつ詩情のある詩を模索したいと思ったこともあり、さらなる挑戦をしないと、このまま停滞していては、前衛を志向し続けるジャンルである詩が死んでしまうという思いもあって、葛藤を抱いていました。

そのような中でこのような評価をいただけたことは心からありがたいと思いますし、読者の皆様に支えられているなと強く感じます。

そうした背景もあって、今回ココア共和国には自由詩を投稿しました。

evie-11.hatenablog.com

なかなか結果が出るまでには、まだ時間を要することと自覚しているので、結果は期待していませんが、それでもうつ病やメンタルの複数の持病を抱える中でも、新たな挑戦をつづけようという気持ちに至ったことを、まずはポジティブに捉えられればと思っています。

30代からの10年間が最後の勝負に出られる時期だと思っているので、この10年でもっと飛躍できるよう、今後とも励んでいきたいです。

Twitterを退会してよかったこと

はじめに

読書・創作アカウントのTwitterを退会して、身内垢のみ残して運用をしているのですが、そうしてみて良かったことを挙げてみようと思います。

Twitterを退会したのは先月のことで、それから一度もログインしていません。

30代になってさまざまに考えることがあって、そのことは以前記事にも書いてきました。

aniron.hatenablog.com

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今回は創作の点でTwitterを退会してみた結果、どのようなメリットがあったのかを綴ってみます。

 

Twitterで人気の作風に囚われないようになった

Twitterで20代の大部分を過ごしてきて、耽美主義を掲げていたのもちょうどその頃のことでした。

Twitterは耽美なものが好きな人が身の周りに多く、私自身も好む作風だったので、長年そうした作風で詩を書いたり、短歌を詠んだりして、一定の評価をいただいてきました。

しかしそこに停滞を感じるようになり、もっと新たな作風を模索したいという気持ちが強まってきて、Twitterで評価を得られることを前提とした活動に疑問を抱くようになりました。

Twitterで評価をいただいても、あるいは別の場所で評価をいただいても、結局のところそれらが私の創作意欲を左右することはありませんでしたし、そのような状況になると、かえってTwitterという場が足枷のように感じられることも多くなっていました。

そうしてTwitterから離れてみて、今は療養詩歌を作っていますが、おかげさまでココア共和国には二カ月連続で佳作として採っていただきました。

もしも耽美な作風から転換せずに活動をつづけていたら、このような評価をいただくことはできなかっただろうと思います。

詩というものは常に前衛を志すものであって、停滞することは詩にとって致命的な傷となりうるということを改めて感じます。

今は自由詩に挑んでいますが、そうして新たな模索を自由に試みることができるという点で、私はTwitterの定まった評価軸から離れられて良かったと心から感じています。

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嫉妬の目を避けられるようになった

特に異性から創作上の理由で嫉妬の目を向けられることが3度ほどあり、いずれも精神的に消耗してしまったこともあって、Twitterから離れられて良かったと思っています。

3度ほどそうした出来事があって身に沁みて感じたことは、そういう方々はいずれも自分の力量を自分自身で見定める力がないということでしたが、それはともかくとして、20代の頃は向けられる嫉妬の目を、エネルギーへと換えて、ますます創作に打ち込むだけのバイタリティがありました。

ただ30代になり、20代よりも気力や体力が落ちてくると、嫉妬を向けられると、それを跳ね返すだけのエネルギーが失われてしまうようです。

それに加えてネット上の別の場所で異性から粘着されてPTSDが再燃したと医師に診断されたこともあって、ネット上における視線恐怖症のような症状がつづいて大変つらい思いをしました。

Twitterにいるとどうしても相互監視状態になり、終盤はいいねが飛んでくるたびに怯えてしまうので、通知を切ったり、ほとんどTLを見なくなったりしていました。

そういうストレスフルな環境から距離を置いて良かったと今は感じています。

 

身内垢のメンバーと新たなつながりが生まれた

元々大学の文芸サークルの同期メンバーでつながっている身内アカウントのみを残してTwitterをしていますが、そのメンバーと歌会をしたり、サークル活動を少しずつ再開しはじめていて、創作・読書アカウントを運用していた頃よりも、地に足のついた人間関係で文学の話をしたりしています。

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元々大学を出てからも活動をつづけていたこともあり、文学や創作への意識が高いメンバーが集っているので、創作・読書アカウントで人とつながるよりも、より質の高い関係を築けていると感じています。

今はクローズドなSNSが注目を集めていますが、Twitterをクローズドなものとして活用することで、以前よりも随分とストレスが減りました。

おかげで今は近すぎず、遠すぎず、ほどほどの距離で、これまでよりも良い人間関係を築けているなと感じています。

 

創作意欲がこれまでよりも上がった

創作・読書アカウントを閉じて、ココア共和国へ詩をコンスタントに投稿したり、別の場所に短歌を投稿したり、これまでなかなか書けずにいた小説のプロットに着手して、小説講座のプロ作家の先生に送らせていただいたりと、これまでよりも創作意欲は上昇しつつあります。

元々前述したように、ネット上の評価の多寡が私自身の創作意欲を左右することはなかったのですが、インスタントな評価を得なくなったことで、かえってじっくりと創作と向き合うことができるようになったのだと思います。

Twitterをやめて、創作において良い刺激がなくなってしまうのではないかとはじめのうちは危惧していたのですが、むしろ私にとってはいらないものだったのだなと今になって思います。

同人活動を中心にしたり、同人誌を頻繁に作ったりしているわけでもありませんし、活動の拠点をTwitterや同人誌ではなく、投稿やBOOTHでのDL頒布、カクヨムやKDPといった、比較的Twitterに依存しない環境に移したことが良い効果をもたらしたのだと感じています。

まだこのスタイルがうまくいくかどうかは分かりませんが、ストレスを感じながら活動をつづけることは難しいですし、できるだけTwitterに依存しない環境を整えることは、今後の私の活動にとって重要事項になるかと思います。

 

おわりに

ネットを見ていても、Twitterにストレスを感じている同人作家さんは何かと多いようなので、その方々の参考になればと思い、少々書きづらいことも書かせていただきました。

もしもTwitterをやめたいけれど、宣伝などの都合もあってやめられないという方は、いったん清水の舞台から飛び降りるつもりで離れてみるのも手なのかなと思います。

私はPTSDの再燃と診断されたことや、全く身知らずの他人の一挙手一投足のツイートに興味を失ったことが、公開アカウントをすっぱりやめる大きな動機になりました。

決してポジティブな理由ではありませんが、結果的にやめてみて良かったなと今は感じています。

ココア共和国に投稿しました&自由詩二篇公開

帰省先からではあるけれど、自由詩をココア共和国に投稿した。

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以前二ヶ月連続で佳作として採っていただいた詩はいずれも散文詩なので、今回も評価していただけるかどうか、まだあまり自信がないのだけれど、自由詩を何篇か書いてきて、ようやく答えの糸口が見えてきたかなと感じたこともあり、今回投稿させていただいた。

ちなみにココア共和国の9月号、10月号にはそれぞれ嘉村詩穂名義の散文詩を佳作として採っていただき、電子版に収録されているので、そちららも併せてよろしくお願いいたします。

かねてから自由詩を書くことへの抵抗感は強くて、私にとっては散文詩の方が息をするように書けるので、これまでずっと散文詩を書いてきた。

それでも新たな挑戦をしてみたいという思いもあって、今は自由詩を模索しはじめている。

同じところに留まりつづけていては進歩は見込めないし、村上春樹が『職業としての小説家』において、小説家は常に変化を求め続けねばならないという趣旨のことを書いていたけれど、それはあらゆる創作者にとって同じことなのだと思う。

特に詩というジャンルは常に前衛でありつづけてきたジャンルでもあり、新たな表現を模索しつづけることは、詩を書く上ではどうしても必要なことなのだろう。

たまたま評価をいただいたからという理由で、変わらないスタンスで散文詩を書きつづけてばかりいても、いずれは行き詰まってしまう。

そのためにも常に挑戦する心を忘れずに、またそのチャレンジ精神を実作に反映させていきたい。

今は強い焦りが私を支配していて、主人にはそう焦るなと電話でたしなめられたのだけれど、焦りや衝動がなければコンスタントに創作をつづけることはできない。

焦りをネガティブなものとして処理するのではなく、エネルギー源に変えていきたい。

 

Twitterをやめて、創作意欲が鈍ってしまうのではないかという不安も少なからずあったけれども、私の場合はそれは全くの杞憂に終わったようだ。

こうして新たな試みを心おきなくやっていけるのも、常に一定の評価軸でしかものの見方をしようとしないTwitterの人たちの目から離れられたという点では意義深かったと感じている。

そもそもネットの評価の多寡やその内容が私の創作意欲を左右することはこれまでも全くなかったし、自分の中に強い動機と意欲があれば、いつまでも詩を書いていられるのだと思う。

Twitterにいた頃には随分と異性から嫉妬のまなざしを向けられて、その煩わしさに参っていたけれど、今はそうしたストレス要素もなく、ただ純粋に自分の詩を高めるため、あるいは新たな領域へと足を踏み出すために詩作をつづけている。

 

おかげさまでここのところランキングが上昇しているという通知が来たので、自由詩を連載している詩集に二篇の詩を追加した。

遠ざかる森

あなたから隔たって

眺める木々に

高らかに鳴く鳶の声

七年光年先の部屋から

さらに遠かった星で

あなたのまなざし

あなたの朗読する小説の一節

切れぎれになった記憶をつないで

あなたの姿をたしかめようとするけれど

その一片だけを握りしめて

眠れないまま闇の中で

無為に横たわるだけ

あなたの言葉で描く

七色の森はここにはなく

焼き捨てられた本たちの慟哭と

虚ろになった部屋で増えてゆく奢侈品と

音声を発しつづける画面と

無数の無意味の言葉の羅列と

ただ無色に塗りつぶされてゆく世界で

あなたの気まぐれな口笛を聞かせてほしい

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七千年の光

あなたから遠ざかって

空を駆ける鳥たちの鳴き声を

遥か遠い国の音楽のように聴いて

画面から流れてくる音声と

行き交う車や電車の音で満ちたこの部屋で

かつて見た遠い砂漠の写真と

そこに住まう人々のお茶を

鮮明に思い出してもなお届かずに

茶葉に触れることさえ忘れて

あらゆる瞳が見つめてくる街を歩き

その果てにある図書館を夢見て

永遠に辿りつかない重い足を引きずり

日傘は両手で支え持って顔を伏せ

婚礼の儀式をひとりきりで行うように

罪人がいたたまれずに顔を隠すように

道を行くことばかりが頭を離れないまま

詰められそうにない距離にあるものばかりを

追う兎になっていたことに気づく

あなたの光が七億光年先に届くには

まだ六億三千年の時が必要で

七千年をかけて届いた微かな光線が

海の上できらめくのに心は涙する

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自由詩はまだまだ手応えが得られなくて、やはり私の得意なものは散文詩だなと感じるのだけれど、それでも詩として着地する瞬間にたまらない喜びを感じることは、詩を書く醍醐味だと感じる。

創作の世界は青天井だし、その道は長く険しい。それでも冒険心を持ってその道を進むことそのものが面白くてたまらない。

たとえ評価されようとされまいと、私は詩作をつづけていくだろう。

 

それから最後に併せてご紹介という形になりますが、図書館をめぐるエッセイ集『図書館という希望』も引き続きぽつぽつとお読みいただいているようです。

図書館という希望 宣伝

ブログ「広寒宮」で綴ってきた図書館にまつわるエッセイに書き下ろしを加えた、図書館エッセイ集です。

「もうひとつの家」としての図書館との付き合い方や、蔵書にまつわること、一利用者から見たコロナ禍の図書館の記録、幼少期に通った図書館との思い出など、今だから読みたい内容をぎゅっとまとめました。

本書が図書館を愛するすべての人の友となりうることを心から願っています。

 

-収録作品-

図書館という希望

ふたつの棚

図書館という友人

ふたたび図書館へ一

図書館の使い方を模索する

コロナ禍の図書館について

蔵書の整理

ふたたび図書館へ二

先達の目とBANANA FISHにみる図書館の精神

図書館という知の海に漕ぎ出す

図書館で知を拓く

学校の図書室の思い出

非常事態宣言下の図書館

本書に登場した書物

Kindle unlimited会員様は追加料金なしでお楽しみいただけます。

引き続きよろしくお願いいたします。

模索はつづく

大学時代の後輩と歌会をした。

そこで彼女と話しているうちに、このまま短歌を詠んでいていいものなのか、確証が掴めないと感じていることに話題が及んだ。

私はこれまで療養短歌と題して短歌を700首詠んできたけれど、そろそろ原点である耽美主義に一度戻ってもいいのかもしれないとも思う。

まだ答えは出ないままなので、ひとまず作歌をつづけながら模索したい。

さらに療養のために帰省をしていて、再び小説を書きたいという思いが頭をもたげてきた。

頭の中で構想を練り込んでいるだけで、まだ書きはじめるには至っていないのだけれど、やはりどこかで書くに至るタイミングを掴みたい。

まずは掌編からでもいいなと思っている。4千字、1万字、4万字と徐々に飛距離を伸ばしたい。

詩の方もしっかり書かねばならないので、帰省中にできるだけ詩歌を作る機会を設けたい。

今のところ短歌は7首、詩は2篇書いている。

短歌はコンスタントに詠みたいし、詩は書きたいタイミングで書くと決めているけれど、それでも量をこなしたい。

自由詩もまだまだ始めたばかりで拙いし、投稿もしながらかもめソングやカクヨムにも載せていければと思う。

note.com

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新たなことに挑戦しつづけたいと思うようになったのは、帰省してからのことで、やはりコロナ禍で停滞する故郷の様子を見ていると焦燥感につながり、それがひいては私自身の反動としてのエネルギーに変わっているのだろうと思う。

思い返せば学生時代も周囲のプレッシャーがなかなか激しい最中で勉学に打ち込んで、両親の理解と支援もあって上京して一流私立大学に入ることができた。

そういう風にこの街は私の背中を逆説的な意味で強く押してくれる存在なのかもしれない。

東京にいて故郷を思う時にはひたすら恋しく、愛おしい存在だけども、帰ってくると学生時代に感じていた強い衝動や上昇志向を思い出す。

両親も年老いて、部屋には処分されたためにほとんど本が残っていない。

東京から持ってきたたくさんの本も、こうした環境ではなかなか読む気になれないままでいる。

ここに文学はないし、詩の根幹をなす歌もない。

それでも文学を通じて歌いつづけたいと強く願う。