広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【SNS断食】インプットの質を高めるために実践していること

はじめに

 先日、池上彰佐藤優両氏のこちらの本を読みました。

 枝葉の部分はともかく、本書で何度も指摘されていたのは、

  • ネット断ち(佐藤氏は一日四時間)をして、インプットをする時間を確保すること
  • ネット断ちをして、インターネットサーフィンの誘惑を遠ざけ、インプットは基本的に紙媒体を中心とすること

でした。

 2016年の本ですが、すでに「エリート層でデジタルデトックスがはやるだろう」ということが指摘されており、改めてその先見性に驚かされます。

『デジタル・ミニマリスト』が刊行される前に、インプットの具体的なメソッドを提示したという点で優れた本だと感じました。

 

私がデジタルデトックスに関して実践していることは別垢のブログにまとめています。

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

この記事では具体的に活用しているものをご紹介していきます。

 

amazon prime reading

主に雑誌を読んだり、自己啓発本を読んだりしています。

kindleも利用して、有料の本も読みます。

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実用書がメインで

といった本が多いです。

中には積んでいる本もありますが、手元にいくつか軽めの本が常備されていると、物語にすっと入っていけない気分の時にも手軽に読むことができるので、読書人にはおすすめです。

今のところkindle unlimitedに加入する予定はありませんが、楽天経済圏に引っ越したこともあり、amazon prime 会員は来年一月までで延長はしない予定なので、場合によっては考えても良いかなと思っています。

『僕らが毎日〜』のようにdマガジンに登録するという手もありますが、雑誌よりも自己啓発本や健康本を読むことが多いことを考えると、kindle unlimitedの方が現実的かもしれません。

 

また私の場合はiPad電子書籍を読むことにしています。

iPadではLINEのアプリを入れず、ネット検索をまったくしないようにしているので、集中して電子書籍を読むことができます。

一時期はkindleの公式リーダーを使っていましたが、あまりにも使い勝手が悪かったので、iPadに絞ることにしました。

 

メリット

本はネットよりも質量ともに勝っている

軽い読み物でも、ネットで情報を得るよりも質量ともに充実した内容が多く、むざむざインターネットに時間を費やすよりもコスパがいいです。

時間=お金に等しいリソースだと捉えれば、本を買う方が時間を浪費せずに済みます。

『僕らが毎日〜』でも書かれているように、校閲と編集の力は侮れません。

インターネットだとどうしても情報が玉石混淆になってしまうので、時間の費用対効果が少なくなってしまいます。

 

メンタルへのうれしい効果

また軽めの本でも読むとメンタルへのポジティブな効果を得られます。

一冊読み切ったときの充実感はネットの情報では得られないものですし、実際に六分間読書をするだけでストレスは軽減されるという研究もあります。

gigazine.net

また軽い読み物や実用書はメンタルの調子の如何に関わらず読みやすいというメリットもあります。

インターネットで時間を無為に費やすよりも、メンタルの安定に少なからず良い影響を与えてくれるのです。

 

電子書籍で買うことのメリット

メリットとしては

  • 紙の本でわざわざ買わなくてもいい内容の本も気軽に持っておける
  • どうしても手元に欲しい本は紙の本で、そうでもない本は電子書籍でという選択肢が生まれる
  • 本棚が圧迫されない
  • 紙の本と比べて手軽に読める
  • ものによっては中古価格よりも安い場合がある
  • 新品の紙の本よりも安い
  • スクリーンショットで保存可能

 

ということが挙げられます。

たとえばセルフケアの道具箱は発売前から気になっていたのですが、紙の本だと品切れになっていたり、価格が高くなっていたりしたので電子書籍で買いました。

セルフケアの道具箱

セルフケアの道具箱

 

読んでみて、この本は電子書籍で充分だったなと感じています。

本を読んで得られたことを元に、自分自身が実践していることをまとめた記事がこちらです。

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

デメリット

デメリットとしては、

  • 人と共有できないこと
  • 小説などは不向きな場合が多い
  • 積んでしまうとなかなか読まない
  • 中古価格と比べると高い本が多い

ことが挙げられます。

私の場合は夫も読書好きなので、夫に話して「俺も気になる」と云われた本は紙で買います。

上に載せた『デジタルミニマリスト』もそうですし、最近だとこちらの本も該当します。

情報は1冊のノートにまとめなさい[完全版]
 

  人と貸し借りができないというのは大きなデメリットだなと感じています。

また積んでしまったまままったく読んでいない文芸書も何冊もあります。

紙の本に比べて、電子書籍は積んでいることを忘れてしまいがちなので、どんどんそうした本が溜まってしまうというストレスは少なからずあるかもしれません。

また中古価格よりも高い場合は私は迷わず中古で本を買っています。

 

何を電子書籍で買うべきか 

私の場合は

  • 紙で持っておかなくても良いが手元に置いておきたいもの
  • 欲しい本で中古価格より安いもの
  • すぐに読みたいもの

が挙げられます。

多くの場合これに該当するのが実用書です。

電子書籍と紙の本をうまく使い分けることで、本棚を理想的な状態に保つこともできますし、今後とも電子書籍をうまく利用して、インプットの質を高めていきたいと思います。

【SNS断食】禁断症状との戦い【創作】

生活面でのメリットは大きかったのですが、創作面ではTwitterをやめて大きな打撃を受けています。

そこで、Twitterをお休みして後悔していることと、良かったことについてまとめたいと思います。

Twitterをお休みして後悔したこと

まず何よりも創作意欲が削がれました。

人に見てもらえることは私にとってさして重要なことではないと思っていたのですが、端的に創作意欲に反映されるのだということに気づきました。

私はずっと同人で活動しているので、Twitterを作品の発表の場としていることもあり、休んだことで大きな弊害が出てしまっています。

創作がソーシャルなものからパーソナルなものになったという変化にまだ戸惑っています。

本来創作はパーソナルなものであるはずなのに、私は創作をはじめたきっかけがTwitterだったので、見てもらえない苦しさというものに耐えかねているのでしょうね。

カクヨムを活用することも考えましたが、オンラインベースだとどうしてもTwitterを意識せざるを得なくなってしまいそうなので、こちらのブログと紐づけするか、もうちょっと考えようと思います。

 

ひとまず作品を投稿したり、kindle化して販売することを目標にはしていますが、その道のりは決して平坦なものではないとつくづく感じています。

たとえば毎日何かしらの創作をして記録をつけるなど、短期的かつ目に見える形で目標設定および報酬の設定をしないと、到底続けていけないなということに気づきました。

そういう意味でも次に提示する読書記録をGoogleアプリで見える化することは大事かなと思います。

 

Twitterをお休みして良かったこと

読書欲が旺盛になった

evie-11.hatenablog.com

こちらの記事に書いたとおり、読書に励んでいます。

今のところ一週間毎日読書ができていて、今月はすでに14冊の本を読みました。

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bookmeter.com

これはなかなかTwitterをやっていたらできなかったことではないかと思います。

あくまでも私個人の場合ですが。

長い目で見れば、インプット量を押し上げることは、アウトプットの質に直結していくので、しばらくTwitterに戻るつもりはありません。

そして読書をしていて実感するのは、本に勝るメディアはないということ。

ネットに情報が溢れる時代になった今も、本の情報の質量はネットの比ではありません。いかに世の中に編集という仕事が必要なのかということを改めて思い知らされます。

アウトプットの場としてネットを活用しながら、今後もインプットは本に重きを置いていきたいです。

TwitterのノイジーなTLから解放されたことを鑑みても、やはりインプットの中心を本に据えることは、メンタル面の安定に寄与することと考えます。

 

アウトプットの質が向上した

これは別垢の記事ですが、本を読んで格段にアウトプットの質が向上したと感じています。

snowrabbit21.hatenablog.jp

snowrabbit21.hatenablog.jp

別垢の開設の目的は、「様々な事情で体調面において困っている人にできるかぎり資するように書く」つもりで記事を執筆しているので、これはうれしい成果でした。

それまでは実用書を軽んじる気持ちが強かったのですが、別垢の運用には大いに役立っています。

この先『デジタル・ミニマリスト』の記事もまとめようと思っていますが、そちらは実践的な内容がメインになりそうです。

 Twitterで瞬発的に買った本や読んでいる本を写真とともにUPしたり、読んだ本の感想を140字程度でまとめることは簡単です。

それでも『デジタル・ミニマリスト』にあるように、「できるだけ自分に負荷をかける」趣味を持つということがいかに大切なことなのかを実感しています。

アウトプットにおいてもそれは変わらないことなのかもしれません。

できるかぎり自分の言葉を尽くして、あるいは論拠を示して、筋道を立てて具体的に人に示すということは、創作においても何よりも必要な力を育んでくれると私は信じています。

2020年下半期の読書目標

はじめに

Twitterをお休みして6日目になりました。

この間の様子はこちらの記事に綴っています。

snowrabbit21.hatenablog.jp

snowrabbit21.hatenablog.jp

 

今回はSNS断食によって読書をする時間を大幅に確保できるようになったので、読書目標を設定してみようという内容です。

 

目標

下半期に50冊を読むことを目標にしました。

コロナ禍でうつが悪化してすっかり読書ができなくなってしまい、恥ずかしながら上半期はほとんど読書ができませんでした。

そこでこれから挽回するなら50冊が妥当だろうなと考えました。

一ヶ月に約9冊という計算になりますが、今月はすでに9冊読破しています。

もちろん目標は目標なので、これを上回る分にはまったく構いませんし、下回りそうならその月は多めに読むなど調整をしたいです。

ただし内容にはまだまだ満足できないので、もっと具体的なことに踏み込んでみることにしました。

 

何を読むか

紙にアウトプットしてみたところ、私が挙げたのは

1.山尾悠子中井英夫アンナ・カヴァンといった、長らく積んでいる幻想文学

2.関悦二、倉阪鬼一郎、山田佳乃などの句集

3.葛原妙子、塚本邦雄、松野志保などの歌集

4.源氏物語枕草子、和歌などの日本の古典文学

5.朝吹亮二、高柳誠、鷲巣繁男などの現代詩

6.澁澤龍彦を起点とする、マンディアルグ、ゴーティエといった耽美的な海外文学

7.民俗学、日本史、記紀神話をはじめとする神道(大学で専攻)といった学術書

でした。

もっとエンタメ寄りの本を読みたくなることもあるでしょうし、実用書や生活の本にも興味があるので臨機応変にいきたいと思っていますが、最低限このジャンルのいずれかは踏まえておきたいと思います。

 

いつ読むか

SNS断食をしているので時間はあるのですが、この時間には必ず読むと決めておいた方がいいので、私は寝る前に本を読むという習慣を続けるつもりです。

Twitterにいる時間が長かったときに、寝る前に本を読むと気持ちが満たされて寝る支度をスムーズにできたという経験があって、デジタル機器から離れるのにもうってつけだなと感じます。

もちろん日中に読むのもいいんですが、日中に読めなかったとしても、寝る前には必ず何かしらの本を読む。

 

具体的に縛ると絶対に続かないタイプなので、その時目についたものならなんでもいいということにしておきます。

ただし時々自分の読んだ本を振り返ることを意識して、その都度方向調整をしたいです。

そのためにも読書メーターを活用するつもりです。

bookmeter.com

Twitterはお休みしていますが、読書メーターは2008年から続けてきた愛着のあるサービスなので、他の人の読書感想をほどほどに覗きつつ、読書に励めればと思います。

 

モチベ維持のために

Googleカレンダーを利用して、読書をした日には印をつけることにしました。

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ちょうど6日からSNS断食をはじめたので、この間毎日読書できているということになります。

今後もがんばろうと思えるように記録を続けたいです。

習慣を続けるには、とにかくIf-Then思考や記録が重要そうなので、今後ともGoogleカレンダーなどや読書メーターなどを活用しつつ、目標達成を目指したいと思います。

創作活動において多動性を利用して報酬系を制御する

 

これまで発達障害当事者として、様々な記事を別垢のブログに投稿してきました。

snowrabbit21.hatenablog.jp

今回のお話は主に発達障害者の創作活動に関することになります。

もともとこの別垢のブログに載せようと思っていたのですが、思った以上に話が自分のことや創作に関することに偏ってしまったので、こちらに載せることにしました。

 

発達障害者は報酬系の機能が健常者と比べて弱く、長期的な目標を達成することや、得られた結果(報酬)を成果として受け止めることが難しいとされています。

 

小児科学講座 教授 山形 崇倫「こころの健康 ADHD注意欠陥多動性障害) 」

https://www.jichi.ac.jp/extension/file/summary_h25_10.pdf

 

このような論文を読むまでもなく、実際にこれまでの自分の活動を振り返ってみても、人から評価されることに何ら価値を見出せなかったり、作家になるために長編を書くという目標を立ててもなかなか実行できず、短編ばかり書いてしまうということが多かったです。

報酬系の弱さを自覚しながらも、私がこれまでさほど問題として認識してこなかったことには、とにかく多動性をフル活用すること、つまりあらゆる創作をやってみることで、自分の弱点を生かす方向にシフトしてきたという背景があります。

 

  これは今なにかと世間を賑わせている堀江貴文氏の『多動力』が私を勇気づけてくれたというのが大きいです。ただし彼の政治的動向には一切同意しませんが。  

多動力 (幻冬舎文庫)

多動力 (幻冬舎文庫)

 

私が行っている創作活動を具体的に挙げてみると、

などがあります。

ホリエモンは著書の中で、100時間理論を持ち出して、「100時間そのことをやれば80点のところまでは到達できる。その80点取れるものを増やせば唯一無二の人材になれる」という趣旨のことを書いています。

 

私は小説は幼稚園児の頃から書いていて、詩は18歳、短歌と俳句は25歳からはじめました。

80点とまではいかないかもしれませんが、それ相応にネットで評価をいただくことも増えてきました。小説では商業雑誌に掲載することになったり、昨年のカクヨムコンテスト短編部門では最終候補まで残ることができました。短歌では佳作をいただくことができました。

でも、それらの報酬を得てもまったく満足できないのです。

今が不十分な状態だから満足できないというわけではなく、たとえ今以上の評価を得ても、万が一プロになれたとしても、この心境は何も変わらないと思います。

 

私がこれまであらゆるジャンルの文芸に手を出してきたのは、評価云々はさておき、とにかく退屈しやすい性格だったからです。

創作をしている間は退屈をごまかせても、完成してしまえばあとは野となれ山となれ、という気持ちになってしまいます。

作品というものは、書いている間は著者のものですが、発表してしまえば読者の手にゆだねることになるので、これぐらいあっさりとしたおつきあいの方が精神衛生上なにかと都合がいいのもたしかです。

もちろん作品を書いた以上、責任の所在が自分にあることはわきまえています。

ただ、必要以上に自分の書いたものに固執したり、読者に作品の一方的な解釈を強いたり、作品の投稿とともに感想を求めたり、登場人物を「うちの子」扱いしたりはしないということです。

 

このように、私がモチベーションを発揮できるのは、作品と向き合っている最中だけなので、とにかく自分と作品の方向性を決めたら、あとは量産体勢に入ります。

量産というといささか言葉は悪いですし、作品と向き合っている間は真剣なので、いい加減な気持ちで作品を書いているわけではないのですが、結果的に作品と向き合う頻度を増やすことが作品の数の多さにつながります。

数をこなせばそれなりに技術も磨かれていきますし、それはホリエモンの云うところの100時間理論とマッチするのだろうと思います。

もちろん考えなしに数をこなせばいいというものではありません。

その過程で考えながら、数多くの作品を生み出していくことは、間違いなく創作をする人間の力になります

 

そういうわけで今も多動性を活用して様々な活動をしています。

泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロのように、私は何かしら書いたり創作していないと(精神的に)死んでしまうタイプの人間なので、できるだけ自分の中に創作のレパートリーや幅を持っておくといいのかなと思っています。

だいたい小説に行き詰まると散文詩を書いたり、体調が悪い時にはこうしてブログ記事の執筆をしたり、俳句や短歌を詠んだりしています。

それで年中無休で創作活動をしているという状態が保たれて、私は評価の如何に関わらず、作品を発表しつづけることができているというわけです。

文芸雑誌と詩歌について

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短歌と俳句を投稿するべく、角川俳句と短歌、短歌研究を買った。

俳句 2020年7月号 [雑誌] 雑誌『俳句』
 
短歌 2020年7月号 [雑誌] 雑誌『短歌』
 
短歌研究 2020年 07 月号 [雑誌]

短歌研究 2020年 07 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/06/22
  • メディア: 雑誌
 

 このうち角川俳句は以前から時々購読していた。

俳句の世界のあまりの狭さに愕然としてしまって、しばらく読まないでいたのだけれど、自分の俳句があまりにもワンパターンなので、もっと積極的にいろんな俳句に触れたいと思ったのだ。

また投稿も再開したいので、様々なバリエーションを持つ角川俳句ならば間口も広かろうということで手に取った。

あいにくと以前投稿したときには入選ならずだったが、もう少し粘ってみたい。

 

短歌の方は実は何冊も積んでいて、なかなか読めずにいるのだけれど、ここのところ短歌を詠むのが面白くて、先日短歌研究に投稿したこともあって手に取った。

evie-11.hatenablog.com

こちらもどの程度見込みがあるのかはわからない。

とある賞で佳作をとったときとはまったく違う、耽美主義な作風で投稿したので、なかなか厳しいかもしれない。

それでも塚本邦雄賞を持つ短歌研究に投稿してみたいという気持ちがあって、今回手元に迎えることにした。

果たして読んでみると写実的な短歌が並んでいて、ちょっと面食らってしまったのだけれど、これも時勢なのだと思えば致し方ないのかもしれない。

まだすべて読み終えたわけではないけれど、もう少し間口の広さが欲しいと思ってしまった。

私は根が楽観主義で享楽派なので、写実主義とはほど遠いところにいることを改めて思い知った。それもまたいい勉強になったのかもしれない。

 

ここのところは本を読む気力がなくて、あっちを読んだり、こっちを読んだりと節操がない。

そういう自分のことを好きになれずにいたのだけれど、それでも文芸雑誌というものは飽きさせない紙面作りになっているのか、先日は現代詩手帖5月号を読み終えた。

現代詩手帖2020年 5月号[雑誌]

現代詩手帖2020年 5月号[雑誌]

  • 発売日: 2020/04/28
  • メディア: 雑誌
 

 誌面に並んだ読者の投稿作品を見て、現代詩は私には到底投稿できないなと痛感したけども、それでも現代詩は読み手として単純に興味があるし、その面白さも少しずつわかってきた。

様々な特集やエッセイ、評論を読めるのも面白く、今後とも折に触れて購読してみたいと思っている。中でも清岡卓行のご子息のエッセイがあまりにも卓越していたので、読めてよかったと思う。

 

最近は朝吹真理子の父、朝吹亮二の詩に興味があって、今はなき荻窪の「ささま書店」で買った詩集を積んでいる。

朝吹亮二詩集 (現代詩文庫)

朝吹亮二詩集 (現代詩文庫)

  • 作者:朝吹 亮二
  • 発売日: 1992/04/10
  • メディア: 単行本
 

 

またTwitterのご本人のツイートを見かけて気になっているのが、岩倉文也の詩集だ。

あの夏ぼくは天使を見た (KITORA)

あの夏ぼくは天使を見た (KITORA)

  • 作者:岩倉 文也
  • 発売日: 2019/10/31
  • メディア: 単行本
 
傾いた夜空の下で

傾いた夜空の下で

  • 作者:岩倉文也
  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 こちらも余裕があればぜひ手元に迎えたい。

守るべきもの

投稿についてあれこれと考えていて、いろんなことを考えている今日このごろです。

本心ではやっぱり小説を投稿したい。

それでも、私はキャパシティに限界があって、専業主婦としての務めすら完璧にこなせていないこの状況で、果たして十万字にのぼる小説と向き合えるのだろうかと考えた時に、今すぐには難しいだろうなという結論に至りました。

持病も抱えているので、コンディションが良好な時の方が少ないほどで、それに加えて夢を追いつづけるのは無理があるなと。

今年の12月で30歳になるということもあり、その分焦りもありましたが、今は専業主婦としての自分のこともそれなりに誇りに思っているので、「作家になれないならこの人生はおしまいなんだ」という10代20代前半までのような焦りはあまりありません。

趣味として創作を楽しんだり、俳句や短歌を投稿したりしながら、専業主婦としての務めを果たすことが、今の私にとっては最善の道なのだと思っています。

 

それにしても女性が夢を追いつづけるということは並大抵のことではないなということを痛感しています。

女性という大きな括りで語っていいことではないのかもしれませんが、結婚を機に夢を諦める人は少なくないのだろうなと想像します。

少なくとも結婚によって、「私の夢は私ひとりの努力で達成すればいい」というフェーズは終わったのだなということに気づきました。

夫との夫婦生活と作家という夢を天秤にかけたときに、守るべきものは夫との生活であり、今の私にとって一番大切なものは、もはや夢ではないのだということにも。

結婚にはおのずと責任も伴いますし、それは保守寄りの思想の人間として、致し方のないことだとも思っています。

ただひとつ書いておきたいのは、上にも述べたように、私は夢を諦めるということを必ずしも深い絶望感を持って語っているわけではないということです。

 

前向きに捉えれば、同人誌は作り放題だし、自分のペースで好きなように創作と向き合うことができます。

それは主婦のみならず、持病を持つ人間としても、やはりどうしても必要なことなのかなと感じています。

短歌と俳句は投稿すると決めたので、そこに向かって努力することも、夢の続きを追うことにつながるはずです。

 

「いや、それでも小説を投稿したい」という気持ちになる日もふたたびめぐってくるかもしれません。そこは分かりませんが、夢を追いつづけるというのはなかなか苦しさを伴うものでもあり、いったんその呪縛から離れてもいいのかなと思っています。

言葉の身体性と必然性について

 

先日、海老名絢さんの『声を差し出す』という詩集を拝読しました。

booth.pm

驚いたのは、言葉の持つ身体性をここまで表現できるものなのかというところ。

それからしばらくいろんな人の作品を読んで、あらためて考えてみたいと思ったので、こうして筆を執ることにしました。

 

◆目次◆

 

 

言葉の身体性と必然性

複数の友人と話していて、「自分の文体が欲しい」という声をいくつか聞いたのですが、文体というのは、書き手の声そのものだと私は思っています。

どの語彙を選択して、どの言葉を選ばないのか。

日常生活においてもその選択は常に迫られていて、たとえば私は「まずい」という言葉は極力避けて「おいしくない」という言葉を使ったり、「寝こむ」という言葉は使わずに「臥せる」という言葉を用いたりします。

その基準はどこにあるかというと、自分の聴覚過敏に起因しているところがあって、聴覚にさわるような言葉はあまり使わないようにしています。

そうした言葉は己の身体に深く染みこんで、文章となって表れてきます。

誤った言葉の使い方をしていれば、それがそのまま反映することにもなりかねませんし、諸刃の刃とも云えますが、日頃から用いる言葉に気を配ることは何よりも欠かせないのだろうと感じます。

 

これは何も私に限ったことではなく、上にも紹介しているオカワダアキナさんの日記を拝読していても、

パンとか電話とか - 日々の記録

インプットってあんまり言いたくない。インプット・アウトプットって言いかた、便利だからやっちゃうことはあるけど、言いたくない言葉多いな。

 というところでハッとしたのでした。

おかさんの文章は、こちらの日記を拝見していても分かるように、「語り」を重視した文体です。強いて洗練を極めるというよりも、一見とりとめのないように見える「語り」の「芸」の世界の延長線上にありますが、その「語り」はおかさんご自身の語彙の選択の上に成り立っているということは云うまでもありません。

また「語り」は身体性を抜きにしては存在しえないことを考えると、おかさんご自身のさまざまな思想や経験、バックボーンが「語り」として結実していっているのだろうと拝察します。

 

おそらく言葉にこだわりを持つ人は少なからず「使いたい言葉」よりも多くの「使いたくない言葉」というものがあるのではないでしょうか。

その語彙の選択からすでに文体の構築ははじまっていて、私の場合は聴覚過敏に根ざしているので、言葉と言葉が触れ合って耳障りな音を立てないように文章を書きます。

 

それがもっとも明らかな形で表れたのが「山妖記」だったのでした。

kakuyomu.jp

目は見えずとも、四季折々に鳴く鳥の声や、春雨秋風に季節を感じ、もしこれが麓の国の帝であったならば、歌人に歌を詠ませて無聊ぶりょうを慰めただろうと思われた。

 あいにくと生来より山で育った私は歌のひとつも詠めぬのだが、琵琶の調べに乗せて節をつけてあてずっぽうに歌えば、幾分か心安らぐ心地がする。

 清らかな秋月の光もこの心までは届かずに、秋の夜風に唇で触れては音曲となってこぼれだすのだった。

 流麗と多くのレビューで評していただきましたが、文章の流れを構築するのはひとつひとつの言葉に他ならず、その言葉を用いるときに、己の血肉となるまで消化できていなければ、少なくともパッと出てくることはありません。

 

一語一句ごとに辞書を引きながら、あるいは他人の文章を参照しながら文章を書くというのは現実的ではありませんし、結局己の肉声として出てこない言葉を使っても、言葉だけが一人歩きしてしまって、おおよそ意味を捉えられなくなったり、前後の文脈にそぐわずに浮いてしまったりします。

そしてそうして浮いてしまって身体から離れてしまった言葉というものは、得てして読者に伝わるものです。

「言葉を調べて頭で書いている文章」「覚えたての言葉を使って書いている文章」というものはだいたい読めばわかります。

そうした言葉を使い続けて作品を仕上げるということは並大抵のことではなく、必ずほころびが生まれるからです。

前後の文脈を含めて完成された領域まで高めなければ、本当の意味でその文体をものにしたとは云えないのだと思います。

 

山妖記はおかげさまで次のようなレビューをいただきました。

kakuyomu.jp

なんと言っても地の文の濃さです。
本当に昔話を紐解いているような、初めから最後まで、全く崩れない美しい文章が深く深く読者を世界へと連れて行ってくれます。

ただし、この文体もまだまだ改良の余地は残されていますし、さらに文体のバリエーションを持たせたいと考えています。

山妖記のように古典調の文章ではなく、平易な文章、端的に伝わる文章であっても、より文章表現を磨いていきたいです。

 

校正の重要性

しかし本当に言葉の身体性を求めるというのなら、校正はどのように捉えるべきでしょうか。作者の肉声そのものが文体となるのなら、校正によって損なわれるものがあるのではないかという問いも当然生まれてくるでしょう。

しかし語彙の用い方に際して誤りがあれば、それは文体の構築以前の問題となりますし、校正の目的は身体性を削ぐことにあるのではなく、それをより的確に洗練させていくことにあります。

中学生の頃、吹奏楽部の指揮をしていた恩師が「鬼のように練習しなさい」といつもおっしゃっていましたが、我々は「鬼のように校正する」しかないのだと思います。

校正については以前こちらに書いたので、重複する部分は省きます。

evie-11.hatenablog.com

私の場合は小説が下手なので、短編を書いても、三校ほど赤入れをすることも少なくありません。

今回書いた「all the good girls go to hell」では徹底的に文章を見直しました。

 母が亡くなってすでに六年、この間りんは父が色に溺れ、寺に地獄絵を奉納しながらもふしだらな生活を送ってきたのを耐えしのんできた。十六歳の花ざかり、男を好くどころか嫌悪の色もあらわにして遠ざけてきたりんは、嫁入り先さえ決まっていない。
 後妻をもうけることもなく、日々数々の女たちを家に招き入れる父は、凛を厄介者と邪険に扱い、いい顔をするのは寺との絵のやりとりをする間だけだ。りんを使いに走らせることも常で、その間父は着流しを着くずして女の体に溺れ、気が向けば筆をとる。
 母がこのありさまを目の当たりにすれば、どんなに悲しむだろうと涙で枕をぬらしても甲斐はない。恥を忍んで僧を相手に窮状を訴えるのもはばかられて、りんは父の目をぬすみ、覚えた文字で日記をつづるのをせめてもの心のよりどころにしていた。
 恨みごとをつづっても読んでくれる者とていない。されども想いを言葉にすることは、少なからずりんの支えとなっていた。つたない女文字が並ぶ日記を文箱の底にしまって、りんは毎夜眠りにつく。涙が散って文字がにじんだところもあれば、怒声が筆の勢いにあらわれたところもある。
 いずれ一冊の本に綴じて、長屋の庭先で燃やしてしまおうと決めている。燃えて煙となって天に昇ってゆけば、きっと母の耳にも届くだろう。少女のいたいけな夢は、胸の内で少しずつはぐくまれてゆく。

結果的にはじめに書いた文章とはまた異なる文体の作品に仕上がりましたが、それでも校正における語彙の選択にも身体性が表れているということを考えると、これもまた私の肉体から発した言葉なのだろうと思います。

何よりも大事なのは誤りを正すことですが、そこからさらに新たな表現の可能性を開いてくれたという点において、改めて校正の大切さを思い知った作品となりました。

校正はしてもしすぎるということはまずないのだなということを痛感しました。

 

今後の文体について

しばらくは今書いている「ヴァニタスの系譜」と向き合うことになるので、「山妖記」とも「all the good girls go to hell」とも違う文体で書き続けていくつもりです。

現代小説の文体はまだまだ模索中です。いわゆる現代の純文学風のあか抜けた文章というのは難しいので、一朝一夕に身につくものではないなと痛感しています。

まだまだ模索が続くことになりそうです。

ただそこにも必ず「私の身体を伴う言葉 」というものが眠っているはずなので、しばらくはそれを模索しつつ、文章と向き合っていこうと考えています。