広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【ヴァニタスの系譜】共依存について

現在6734字。未だに光が見えない闇の中にいます。書いている私が地獄のような日々を送っているからなのか、それとも「彼ら」の抱えているものがそれだけ根深いのか。おそらく両方なのだろうなと。

タイトルは「兎偏愛症」から「ヴァニタスの系譜」に改めました。兎要素がなくなったので。前の記事にも書いているので詳しいことは書きませんが、静物画を描いている昼夜逆転生活を送る兄と、彼をなんとか支えている国語教師の弟のお話です。

 

普段一万字程度の小説を書くことが多く、それも展開を盛り込んだプロットを組むことが多いので、小説を書いていてしんどいなと思うことはあまりないのですが、今回は7000字近く書いてもまだその先に地獄が待っているのだと思うと、ちょっと気が重いです。でもそのイニシエーションを経なければ彼らは救われないので、もうちょっと辛抱してもらおうと思います。
7000字書いてもまだ序盤という感触なので、全体で2~3万字ぐらいになるのかな。私が書いている小説としては二番目に長いものになりそうな予感です。

 

とにかく暗い小説なのですが、私は実はメンヘラ文学がちょっと苦手で、シルヴィア・プラス『ベル・ジャー』は途中で投げたくなりましたし、アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』もSFとして読んだから読めたものの、そうでなければ投げてたと思います。メンヘラなポエムはもっとご勘弁願いたいジャンルです。朔太郎は大丈夫ですが。

ベル・ジャー (Modern&Classic)

ベル・ジャー (Modern&Classic)

 
アサイラム・ピース (ちくま文庫)

アサイラム・ピース (ちくま文庫)

 


 じゃあなんでこの小説を書いてるんだろうと自問自答しながら小説を書いています。やっぱり人に自分の見ている地獄をわかってほしいからなんじゃないかな、という気がしていて、おそらくそれはシルヴィア・プラスにせよ、アンナ・カヴァンにせよ同じだったのだろうなと。ちょっとおこがましい云い方をすれば、結局同族嫌悪というか、同じ穴の狢なんですよね。

 

普段はこういう小説は書かないです。それだけははっきりしていて、やっぱり客観性が担保できないと小説として成立しないので、文芸ラジオに寄稿した「翡翠譚」以降はできるだけ自分の内面に潜って書くようなことは避けてきました。

文芸ラジオ 1号 ([テキスト])
 

 でも、うつになって二進も三進もいかない状況で、これは記録として留めておきたいなという気持ちも強くなってしまいまして。
今だから書けるものや、残しておける言葉があるのではないかと思っています。
これは同人だからできることでもあるんですけどね。プロを目指す前提ではとてもではありませんが書けません。そういう土壌の豊かさというか許容度があるのが同人のいいところだと思っています。

 

ただし、プロットはきちんと小説として成立するように組んでいます。そのプロットに下支えされている部分が大きいので、できるだけ展開を盛り込もうとするのですが、どうしようもなく暗い。
主人公が主人公として目覚めるのがまだまだ先のことなので、そこまで持っていくまで時間がかかりそうです。

ただ彼に対して私は誤解を抱いていて、この小説はてっきり共依存状態にある兄弟の話なのかなと思っていたら、どうやらそうではないらしい。主人公が兄とそうした関係に陥ることを頑なに拒むのです。台詞を書いても、内面を描いていても、兄に依存するところが少しも出てこない。

きょうだいの共依存小説といえば、シャーリィ・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』は最高でした。私の理想の共依存関係だと云ってもいいぐらいです。

 小川洋子『ことり』もそういう共依存的な部分が少なからずあって、私はてっきりこの「ヴァニタスの系譜」は『ことり』のような小説になるのだろうなと思っていたのです。 

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

  • 作者:小川洋子
  • 発売日: 2016/01/07
  • メディア: 文庫
 

  しかし主人公は兄と外の世界との間で葛藤し、兄と外の世界をつなごうとして失敗し、両者共々から拒絶され、兄の世界にも外の世界にもなじめない孤独な人間なのです。共依存関係になる以前のところで彼はもがき苦しんでいる。だからこそ救いを求めている。その救いとは死ではないけれど、限りなく原初的なところにあるのだろうなと。

共依存の蜜のような幸せな境地と、そこから離別する時の痛みを描きたい、と私は願っていたのですが、この小説を書いていて、その前の段階の苦しみから私自身が目を背けていたのだなということを身をもって知りました。


他者を理解し、他者を受け入れること。他者に理解され、他者に受け入れられること。その渇仰がこの小説を書く原動力であり、またそのたどり着くべき場所でもあるのだと思います。


作中における、それらの欲求を介在するものとしての言葉の不在については、もう少し考えがまとまった段階で書きたいですが、大事なことは小説自体を進めることなので、小説そのものに委ねたいと思います。もしかしたらまたこのような形で書くかもしれませんが。