広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

出典という宇宙

出典厨というといかにも聞こえは悪いが、私は出典厨な人間だ。学生時代、恩師に注釈がきちんとしていない本は読むなと教え諭されてからは、学術書を手に取るときにはまず注釈をチェックすることにしている。


また本文中に出てきた漢籍や日本の古典などの引用は、できるだけ原典に当たるべく、図書館で古典文学全集を開くようにしている。物覚えは著しく悪い人間だけども、そうして地道な作業を繰り返しているうちに、記紀神話の神代の部分を覚えたり、古典の書名を覚えたりして、それが勉強するということの原点になっていると感じる。
一般書を読んでいても、気になったものはできるだけ原典に当たる。たとえば白洲正子の『古典の細道』などは謡曲集の蝉丸に当たった。

古典の細道 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

古典の細道 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 
謡曲百番 (新日本古典文学大系 57)

謡曲百番 (新日本古典文学大系 57)

 

 

こうした出典厨の姿勢が高じて漢詩を読むときにも必ず注釈を読む。漢詩は引用の宝庫だ。そもそも古典籍の引用なくして漢詩は成り立たないと云っていい。たとえば唐詩選に収められている盧昭鄰の『長安古意』では、

借問吹簫向紫煙 借問す 簫(しょう)を吹いて紫煙に向うは
曾経学舞度芳年 曽(かつ)て舞を学んで芳年を度(わた)れり
得成比目何辞死 比目を成すを得ずば何ぞ死を辞せん
願作鴛鴦不羨仙 願わくば鴛鴦(えんおう)と作(な)りて仙を羨まじ

とある。

この句には「列仙伝」にみえる弄玉(ろうぎょく)の故事をふまえている。むかし秦の穆(ぼく)王に弄玉とよばれる娘があった。簫の上手な簫史(しょうし)にほれこんだので、父の穆王はこれに娘を嫁がせた。簫史は妻に簫を教え、鳳鳴の曲を演奏させたところ、鳳凰が舞いおりるほどになった。穆王はために鳳台を作って二人を住まわせたが、数年間そこからおりて来なかった夫妻は、ついに鳳凰に随って、仙界へ昇天して去ったという。――高木正一唐詩選上 新訂中国古典選14』、朝日新聞社、1965、p39。

 と解説にはある。

 

この故事はたびたび漢詩に引用されているようで、他にもいくつかこの故事に基づく漢詩に行き当たった。そのたびに「ああ、あの故事から来ているのか」と知識が補強されていくのは楽しい。
漢詩を読む喜びは注釈をたどる喜びでもあるのだと感じずにはいられない。
その出典厨の私が愛好する本が、同じく唐代に記された小説『遊仙窟』で、岩波文庫版のものだと本文よりも注釈と影印本の分量の方が厚いというなんとも出典厨には嬉しい仕様になっている。

遊仙窟 (岩波文庫)

遊仙窟 (岩波文庫)

 

余以小娯聲色早慕佳期歴訪風流遍遊天下 弾鶴于蜀郡飽見文君吹鳳管秦楼熟看弄玉


わたしは年少のときから歌や女に心を惹かれ、美女との逢瀬にあこがれて、歓楽の場所をつぎつぎに訪ねて天下を遍歴しました。蜀郡では、「別鶴操(べつかくそう)」を琴(きん)で弾いて、文君(ぶんくん)のもとに通いつめ、秦楼で鳳管を吹いて弄玉の顔もあきるほどながめました。
――張文成作・今村与志訳『遊仙窟』岩波文庫、1990年、15p。

 

云わずもがな、この箇所も弄玉の故事を踏まえて書かれている。ちなみに文君とは卓文君と司馬相如の逸話になぞらえたものだろう。こちらも漢詩ではポピュラーに引用される故事だ。
私のような漢詩を専門に学んだことのない人間であっても、ひとたび出典の世界に魅了されると、漢詩がぐんと面白くなる。
他にも六朝詩でいうと曹植の詩などは『遊仙窟』はもちろん、唐詩にもたびたび引用されているし、ひとたび漢詩をひもとけば、その世界は点と点とをつなげて線になっていくように結びつけられ、広がってゆく。ここに知の醍醐味がある。

出典を探っていくことで知識は二倍にも三倍にも広がってゆく。その面白さをぜひ多くの人に知っていただきたい。