広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【エッセイ】幇間がほしい

私はとにかく退屈しやすい。始終退屈していると云っていいかもしれない。これまで飽きてきたものは数知れず、唯一続いている趣味として読書があるのは、読書が無聊を慰めるのにもってこいだからなのだろう。
谷崎潤一郎の小説に「幇間」という短編がある。主人公の愛嬌のある姿もさることながら、私はこういう幇間を四六時中傍に侍らせて耳目を満足させたいと思ってきた。

幇間

幇間

 

 

唄が上手で、話が上手で、よしや自分がどんなに羽振りの好い時でも、勿体ぶるなどと云う事は毛頭なく、立派な旦那株であると云う身分を忘れ、どうかすると立派な男子であると云う品位をさえ忘れて、ひたすら友達や芸者達にやんやと褒められたり、可笑しがられたりするのが、愉快でたまらないのです。華やかな電燈の下に、酔いの循(まわ)った夷顔(えびすがお)をてかてかさせて、「えへへへへ」と相好を崩しながら、べらべらと奇警な冗談を止め度なく喋り出す時が彼の生命で、滅法嬉しくててまらぬと云うように愛嬌のある瞳を光らせ、ぐにゃりぐにゃりとだらしなく肩を揺す振る態度の罪のなさ。まさに道楽の真髄に徹したもので、さながら歓楽の権化かと思われます。――谷崎潤一郎幇間


こういう男が傍にいたら終始退屈せずに済むに違いない。私というものはどうにも人を使って己の徒然を慰めようとする節があって、家族と同居していた時はしょっちゅう母を困らせたものだったし、「何か面白いことを云って」「何か面白い話をして」と話をせがむこともよくあった。「つまらない」と云えば「つまるようにしなさい」とピシャリと母に云われてからは、手持ち無沙汰にスマートフォンを眺めるのだけれども、それでついぞ満足したためしがない。


私を唯一満足させてくれるものがあるとすれば、それは本と音楽である。もっとも本も気乗りしないときにはすぐに飽きてしまうので、youtubeでジャズやR&B、中国同人音楽やヒーリングミュージック、クラシックなどありとあらゆるジャンルの音楽を聴き漁る。詩の一節がふと頭に浮かべば、そのまま近代詩の詩集を紐解くこともある。興が乗れば美術展の図録を開いたり、ポストカードを机に並べて小さな美術展を催すこともある。それにしても幇間が傍らにいないということがこれほど侘しいことだとは!

 
私の愛好する谷崎の小説にもうひとつ『盲目物語』というものがある。

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

 

 主人公はお市の方に仕える盲目の法師・余市が主人公なのだが、私の最も愛する歴史上の人物がお市の方ということもあり、また彼女の寂しさに寄り添い、三味線を奏で、按摩をする余市の姿が何とも云えず佳い。

おくがたのおことにあわせて三味線のひじゅつをつくし、または御しょもうの唄をおききに入れてしんちゅうのうれいをやわらげ、いつもいつもおほめのおことばをいただいていたのでございますから、たいこうでんかのぎょかんにあずかりましたよりずっとほんもうでござります。――谷崎潤一郎『盲目物語』

余市もまたお市の方の憂愁を慰め、ついにはその命をも救おうと命を賭す。
ああこんなに尽くされれば女の誉れとも云うべきものであろう。私が谷崎の小説を愛好するのはそこに私自身の傲岸不遜な夢を見るからに他ならない。
私にもそういう男がいてくれればいい。決して対等な愛でなくてもいい。ただこの限りなく永い退屈をなぐさめるためだけに尽くしてくれればそれでいい。
谷崎は己を幇間に仮託してこの小説を書いたのであろう。ならば私はいつか幇間のような男を欲するどうしようもない女が主人公の物語を書きたい。驕慢で、怠惰で、美しい女の話を。