広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

私の図書館活用法

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先日図書館へふたたび足を運んだ。

予約して取り寄せた本を受け取るためでもあったが、家の蔵書の中に読みたい本は山積しているし、新たに本を借りる余裕はない。

そこで私は古典文学全集が並んでいる棚に行って、明治文学全集の棚から泉鏡花の巻と国木田独歩の巻を選んだ。

彼らの作品を読むためでなく、随筆や他の文筆家が書いた評論をコピーするためだ。

 

明治文學全集 21 泉鏡花集

明治文學全集 21 泉鏡花集

 

 

 

 大学の泉鏡花にまつわる講義で市原豊太の「天才泉鏡花」という跋文を知ってから、ずっと読みたいと思っていたのだったが、まさかこの本に入っているとは思わず、いい拾い物をした。

まず天才の定義として、市原は

“彼は或ることがらを徹底的に愛する、又は崇拝する。そのことに關する限り誰も彼ほどの愛情も景慕をも信頼をも、研鑽をも、努力精進をも、それから得られる幸福をも、そこに伴ふ苦惱をも、淋しさをも、到底知ることができない” 

とし、

“鏡花がどういふ生活人であつたかはよく知らない。併し少くとも彼の作品のどれをとつて見ても、それがみぎに考へたやうな、獨特と、卓抜と、徹底と、世間知らずと、間尺に合はなさ加減と、高貴さと、底の知れぬ或る愛情と、小兒の如き崇拜と、青年の如き純粋さを持つた人の仕事であると感じさせないものはない。その作中にあはされる諸々の人物の行藏がそのやうであり、またその文章もそのやうである(…)それは、彼等が皆、或るそれぞれの「内なる靈の聲」に導かれてゐる宿命の人々であり、その宿命のまに、各〻何かを痛切に愛慕して止まず、絶對的な「信」のために、他の何ものをも畏れず、その歸依の道を貫くからである”

と説く。まさに鏡花の仕事の全容を端的に表した言葉だ。今迷子状態になっている自分にとって、信念を貫き、美を至高のものとして仰ぎ続けた鏡花の姿が励ましと勇気を与えてくれる気がした。私は天才ではないし、才能はみじんもないけれども、少しでもあやかりたいと、このコピーをファイルにしまった。

 


国木田独歩の方は「我は如何にして小説家となりしか」という随筆をコピーした。以前読んだ評伝に、「独歩は生活のためには筆を執らなかった。そのため彼の作品に駄作はない」と記されていて、いたく感銘を受けたものだが、この随筆にも

“「誤解されては困ります。自分は今日まで衣食を得る方法として文章を書いたという丈(だ)けの事で、則ち自分の實際を申し上げたので、『文藝は衣食を得る藝當に過ぎず』などとは夢にも思ひません。文藝それ自身の目的の高尚なる事は承知して居ます。又た自分の作物は自分が心真(まこと)に感得して得たるを正直に書いたもので、それが文藝の光輝を幾分が發揮して居るといふ自信及び満足も持つて居ます。”

と記されている。

そういうところが独歩の魅力の最たるものなのだと改めて感じた。

独歩の小説には久しく触れていないが、好きな小説はいくつもある。特に「忘れえぬ人々」「たき火」は折に触れて読み返す。 

忘れえぬ人々

忘れえぬ人々

 

 

たき火

たき火

 

 ちなみに以前読んだ評伝というのはこちらだ。これは以前通っていた図書館で借りたもので、ずいぶんと古い本だが、その風合いもまたなつかしい記憶の一部として心にとどまっている。

 

そもそもこのエッセイを書きはじめたのは、かもめメンバーの御影あやさんのエッセイに触発されたからということもある。

h7pno5ia.com

あやさんは税金と図書館との関係に触れていて、とても興味深かったのでぜひ読んでいただきたいのだが、図書館を活用する方法はなにも本を借りるということだけではなく、こうして古典文学全集から自分の興味を引かれる箇所をコピーして、家に蓄積させていくだけでも十分に意義があると思う。

実際、前に通っていた図書館ではコピーを取るのに許可証を書かずに済んでいたので、新釈漢文大系や李白全集、中国文化伝来事典といった資料を、制約を守った上で思う存分コピーすることができた。

 

唐代伝奇 新釈漢文大系 (44)

唐代伝奇 新釈漢文大系 (44)

 

 

新編日本古典文学全集 (58) 謡曲集 (1)

新編日本古典文学全集 (58) 謡曲集 (1)

 

 

新編日本古典文学全集 (59) 謡曲集 (2)

新編日本古典文学全集 (59) 謡曲集 (2)

 
中国文化伝来事典

中国文化伝来事典

 

こういう本は個人で買って所有しておいてもいいのだけれど、図書館へ行ってコピーすると、あたかもそれが今日の収穫物のように思えていとおしくなる。書くものに行き詰まれば本棚からコピーの束を引っ張りだして無心に眺める。

そういうひとときが私の詩を作り、私の小説を生み出してきたのだと思うと、たとえ小さな行為であっても軽んじることはできない。

図書館という場所の利用法は千差万別、十人十色だと思う。そんな中で自分なりに一番合った使い方を見つけていきたいと思う。