広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

今年のベスト10冊 前編

国木田独歩『武蔵野』 

武蔵野 (新潮文庫)

武蔵野 (新潮文庫)

 

 


この一年、どれだけこの本に助けられただろう。
忘れえぬ人々」や「たき火」、「星」を何度読み返したことだろう。
独歩と出会ったのは文アルがきっかけだったけれど、折しも慣れぬ仕事をはじめた時期でもあり、人との出会いと別れが突然やってきた時期でもあった。
私はなにかと感じやすい人間なので、人が来るのも去るのも慌ただしかったあの時期に心の整理をできずにいたのだった。
そんな時に「忘れえぬ人々」を読んだことで、独歩の謳うヒューマニズムと、私の心が共鳴しあったような不思議な読書体験を味わったのだ。
それはこれまでの読書遍歴で味わったことのない感動を私にもたらした。
短い人生の中で独歩が見出した輝かしいヒューマニズムは、時を経てなお色褪せない。
ぜひ田山花袋の『東京の三十年』とともに読んでいただきたい一作だ。

 

東京の三十年 (岩波文庫)

東京の三十年 (岩波文庫)

 

 



宮沢賢治銀河鉄道の夜新潮文庫

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

 

 

同じく今年の春頃に働いていた時期にこの本に触れ、いたく心を揺さぶられた。

すでに文春文庫の『銀河鉄道の夜』を昨年読んでいたこともあり、再読した作品が多かったなかで、「マリヴロンと少女」との出会いは私を励ましてくれた。

 
「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽のコウがとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」(p128)

 

この文章にどれほど勇気づけられただろう。
働く者を真摯に丁寧に見つめる賢治のまなざしが感じられて、あらためて賢治の魅力を知るとともに、生活の一部として文学が息づいていることを実感した読書体験だった。



中上健次千年の愉楽

千年の愉楽 (河出文庫―BUNGEI Collection)

千年の愉楽 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 


今年は中上健次と出会った年でもあった。彼に勧められた『岬』にはじまり、『千年の愉楽』『枯木灘』と読んで、紀州サーガと呼ばれる中上健次の骨太で血潮がみなぎるような小説群に圧倒された。
物語のもつ原始的なエネルギーをそのまま閉じ込めたような小説に触れたのは、本当に久しぶりのことだった。
中でも気に入ったのがこの『千年の愉楽』だった。
なにしろタイトルが素晴らしい。
「千年」という単語にほとばしるようなエロスを感じる私としては、『千年の愉楽』はまさにエロスオブエロス(頭が悪そうな単語だ……)と感じざるをえない。
中でも「半蔵の鳥」と「天狗の松」の煮えたぎるような仄暗いエロスに魅せられた。

 

余談だが、中上健次がお好きな向きは、きっと石川淳も気に入るだろうと思う。

石川淳らしいチョイスで益荒男ぶりでヒロイックな人物たちを取り上げた『新釈古事記』を読んだときの胸が沸き立つような感覚は未だに覚えているし、『紫苑物語』に収められた三編を読んだときも、神話を換骨奪胎していく力強いエネルギーに魅せられた。

 いずれも読んだ結果「石川淳脳筋」という雑な印象を抱いたが、近代文学に詳しい彼に云ったら「石川淳はインテリだよ」と笑われたのもいい思い出になっている。

新釈古事記 (ちくま文庫)

新釈古事記 (ちくま文庫)

 

 

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

 

 



あさのあつこ『バッテリー』

バッテリー (角川文庫)

バッテリー (角川文庫)

 


小説が書けずに七転八倒していた夏に読んだ。
バッテリーといえば、昨年ノイタミナでアニメを観ていたこともあり、また中学生の頃に原作をリアルタイム読んでいたので、再読したいという気持ちが膨らんでいたのだった。
アニメ版では深く掘り下げられなかったキャラクターの息遣いがリアルに伝わってきて、次の巻に進むのが惜しいような気持ちになりながら読み進めた。
物語のもつ純粋な面白さに触れられたこともあり、これほど読書に夢中になったのは久しぶりの体験だった。
司書の友人はもっぱら児童書を愛読する素敵な女性なのだが、彼女が児童書に魅せられる理由が少しわかった気がした。


夏目漱石『門』

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

 


彼に勧められた一冊。漱石はそれまで『こころ』ぐらいしか読んだことがなかったのだけれど、ひっそりと暮らし、何気ない会話を交わす主人公夫妻が良いというので手に取った。
なるほど、主人公はどうにも煮え切らないタイプの人物で、物語に激しい起伏があるわけでもない。
かつて親友から恋人を奪ったという良心の呵責を抱え続けているわりには、一念発起して門を叩いた禅寺での座禅も投げ出してしまう。
その物語の筋よりも、私の心を捉えた一文がある。
坂井の風聞を聞いて、

自分は自分の様に生れ付いたもの、先は先の様な運を持って世の中へ出て来たもの、両方共始から別種類の人間だから、ただ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだ。

と独白する宗助に共感を覚えた。私もまたこういうスタンスで自分を慰めているところがある。
明治を生きた漱石と、一瞬心が交わったような感覚に囚われたのだった。


金井美恵子『 愛の生活 森のメリュジーヌ

愛の生活・森のメリュジーヌ (講談社文芸文庫)

愛の生活・森のメリュジーヌ (講談社文芸文庫)

 


晩夏、どうにも気だるい午後がやってくると、私は金井美恵子を読みたくなる。
今年も例に漏れず、『愛の生活 森のメリュジーヌ』と『ピクニック その他短篇』を手に取った。
金井美恵子は『兎』が突出していると感じるのだけれど、本作に収められている「プラトン的恋愛」の一文にはハッとした。


「書けないという圧倒的な世界に閉じ込められていると感じる時、すでにわたしは書きはじめようとしているのではないか」(p246)

 


「こうした旅行(…)につき纏って、いつも小説のノートを持って行ったことを思い出し、常にまだ書かれずにいる小説の最初の呼びかけの声をきこうとしていたことを、わたしは涙ぐましくなりながら西陽で湯の表面が桃色の金属のように輝いている風呂場の中で思い出したりした」(p249)


小説を書けない、という状態に追い詰められていた時分に読んだだけあって、これらの言葉は染みこむように私の心に入ってきた。
これほど「書く」ということと真摯に向き合う作家も他にいないのではないか、と彼女の小説を読んでいると感じる。

最後に「兎」の冒頭から引用しよう。

「書くということは、書かないということも含めて、書くということである以上、もう逃れようもなく、書くことは私の運命なのかもしれない」(p159)

 



こうして文章を引用していて気づいたのは、私は自分の中にある言葉になしえない感情を埋めたり補ったり、ある種保証してほしいから本を読んでいるのだなぁということ。
少女時代の私は、自分の感情は自分だけのもので、他人と比べること自体に抵抗感があったが、大人になってみると「あなただけじゃない」という言葉に慰めを見出してしまうようになったのだなぁと感じる。
少女時代に「強さ」だと信じていたものを失ってしまった、悲しむべき変化なのかもしれない。
それでも「言葉と出会うために本を読む」というスタンスは、今も昔も変らない。
美しい言葉を求め、ある種の共感を求め、私はこれからも本を読み続けるのだろう