広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【読書会】志賀直哉「たき火」読書会

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 以前の森鴎外「百物語」「山椒大夫」読書会(http://evie-11.hatenablog.com/entry/2017/05/24/190000)の時に、次回は秋頃、テキストは志賀直哉で、というところまで決まっていましたが、先月神保町にて再び読書会を催してきました。

 

テキストは志賀直哉「たき火」。
彼肝いりの作品で、実は学生時代にも大学の文芸サークルの読書会のテキストとして扱った小説だったのですが、今回も盛り上がりました。

 

リードしてくれたのは複数の読書会の司会を掛け持ちし、自らを「読書会屋さん」と呼ぶ彼でした。


読書会では特に主人公たちが集う場の「空気」に着目し、その場の空気で次のアクションが決まっていくという極めて日本人的な感性を描いているという指摘がなされました。

 

またその空気を醸成していく機能としての自然描写に話が及び、特に「闇の中に一点の火が灯る」というモチーフが変奏を繰り返しながら反復される、というのが彼の意見で、これは特に重要かなと思いつつ、「クラシック音楽みたいだね」と私が云うと、その場の同意が得られました。

 

またこの小説に描かれた登場人物たちについて、「あまり生活感を感じず、またお金に困っているようにも見えない。それなのに小屋のトイレを作っていたりして、妙に生活感がある」という父の指摘も面白かったです。


そこはやはり志賀直哉ブルジョア白樺派に属していたからなのだろうね、と私は返しましたが、真実のほどは定かでありません。

 

さらにその場の「空気」について、Kさんの体験談がこの場限りの一体感を醸し出していると彼が云い、このKさんの体験について、新潮文庫版の解説を援用して「東洋的神秘」体験であったと説明がなされたことから、その場で「東洋的神秘」体験とは何か、という話題になりました。

私は泉鏡花の「竜潭譚」に描かれる、「何がそれで姉様なり、母様(おふくろさま)なりの魂が入るもんだで、魔(エテ)めはどうすることもしえないでごす」と「爺や」が語る「(主人公である幼子の千里の)帯の結めを丁(とん)とたた」くというおまじないを取り上げました。
目に見えない神秘によって親子の命や絆が守られるというのは、「東洋的神秘」と云えるのではないでしょうか。

 

さらに、読書会の終わりに彼が文学史上における「たき火」という作品の意義について教えてくれました。
谷崎と芥川の「小説の筋」論争の中で、芥川が評価したのが、この志賀直哉の「たき火」であったそうです。
谷崎も芥川も話の筋を重視した作風だけれども、芥川は自らの作風を否定し、最終的にはそれが自殺へと繋がったのではないか、というのが彼の持論でした。

 

私は近代文学を趣味として読んでいるのに対し、彼は大学で学んだ身なので、得るものが多い読書会になりました。
次回の開催は未定ですが、また機会があれば父と彼と三人で読書会をしてみたいです。