広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【書評】金時鐘『再訳 朝鮮詩集』

 

再訳 朝鮮詩集

再訳 朝鮮詩集

 

 

先日、韓国の著名な詩人・高銀が国際詩人賞を受賞したというニュースを知った。今年の一月ごろに受賞したとのことだが、私の見ているTwitterのTLに流れてきたのは先月末のことだ。彼の詩を読みたくなり、図書館へ行って出会ったのがこの詩集だった。

 

あいにくと高銀の詩は収録されていなかったが、この本には日本の植民地下にあった近代朝鮮の詩人たちの作品が収められている。

近代朝鮮史には疎いので、植民地政策によって創氏改名が行われたこと、日本語の使用を強要されたことなど、教科書でうわべだけなぞった程度の知識しかなかったのだが、こうして朝鮮の詩人たちの作品に触れてみると、名を奪われ、言葉を奪われることがいかにむごたらしいことだったのか、私の想像には有り余る。

それぞれの詩の冒頭に付された詩人たちの略歴を見てみると、その多くが三・一運動後に投獄されたり、朝鮮戦争での混乱に巻き込まれたりするなど、非業の死を遂げている。朝鮮戦争後に越北して消息不明となった詩人も多い。私の知らない朝鮮の歴史がそこにはあった。

 

それでも彼らの残した詩に戦争の悲惨さの影はなく、抒情的で美しい詩の数々にかえって胸を打たれる。

たとえば辛夕汀(シンソクチョン)の「竹叢に立ち」は、独歩の「山林に自由存す」のような牧歌的な味わいがある。

 

竹林へ行く

竹林へ行く

一途に誠実な 竹林へと行く。

 

立ち込める夜霧に虫はすだき

虫のすだきに蒼白く月の光滲みて流れ

 

竹叢は心地よし

すがしくて心地よし

ひたすら哀しくて 竹叢はよし。

 

花粉の散り敷く 月の光に気配なく立ち

己も竹のごとく生きるとしようか。

 

 

 

素直な言葉遣いの中にすがすがしい緑の息吹を感じる一編だ。そこに暗雲を思わせる歴史の影はなく、詩の響きはのびのびとして気持ちがよい。

 

それまで朝鮮の文学にほとんど触れたことがなかった私にとって、近代朝鮮にも心通わせられるような詩が多く存していることは大きな衝撃であったし、それがまた詩人たちの辿った運命のむごたらしさを逆説的に物語っている。

近代史というとき、私たちは加害者としての日本の顔、被害者としての日本の顔に目を向けるばかりで、隣国の近代史に目を向けることは少ないような気がしてならない。

図らずもこうして朝鮮の近代詩に触れることで、私はあらためて己の無知を自覚し、かつての朝鮮に生きた、一人間としての詩人たちが言葉に託した、いのちの重みを知ることになった。

長崎生まれということもあって平和教育は一通り受けてきたつもりだったが、学生という身分から離れて、今というタイミングで平和について考える機会を得られたことをうれしく思うし、多くの人にこの詩集を読んでもらいたいと思う。