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広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

「クリエイティブ」に依存しない

思考メモ

クリエイターというと、プロフェッショナルなどでは頭を悩ませるシーンを延々と流した揚げ句に新しいモノを生み出していくという展開がくり返されてばかりいる。

スランプを乗り越えるクリエイターの姿は、私のような人間にとっては勇気を与えてくれるし、明日から私も頑張らねばなるまい、と一瞬だけモチベーションが上がる。

だがモチベーションというのは得てして長続きしないもので、私などは一晩経てば熱が冷めてしまう。

 

モチベーションが上がって高揚している状態というのは、あくまでも一時的なものに過ぎなくて、小説を書いているあいだは、意欲が低迷している期間の方がずっと長い。

そこでなんとかモチベーションを上げようと必死になるのだけれど、クリエイターを志す人間にとって「やる気を爆上げしよう」することほどつらいものはない。

それも「やる気が出ない」ことがつらいのではなく、「やる気を上げようとしている」状態に置かれているのがつらいのだ。

その緊張状態が数日で終わればまだいいのだが、たとえば一年先の〆切に向けて今から右肩上がりにモチベーションを上げようとすると、終わりの見えない疲労感が押し寄せてくる。

ならば「やる気が出ているときだけ作業を進めればいい」と云うかもしれない。だがとたんに「モチベーションを上げる必要性」に迫られるのは明白で、どのみち同じ結果を辿るにちがいない。

 

ならば「やる気を上げること」から意識をそらすほかない。「やる気が出なくても作業ができる」ようにすればいいのだ。

 

クリエイターの作業はクリエイティブな部分が大半だと思うかもしれないが、おそらくプロほどそうした部分に依存している人は少ないのではないだろうか。

どんなにクリエイティブな仕事に見えても、その底辺を支えているのは才能だけではない。かといって才能を培い、発揮するための努力でもない。

 

単純作業をひたすらこなし、それを積み重ねていく努力だ。

 

村上春樹は小説を毎日四千字ずつ書くという。最初に彼のエッセイを読んだときには、ずいぶんと「作業的」なことをしているなと感じたのだが、結論から云えばそれはまったく理にかなった作業方法だと思う。

 

物心のついた頃から物語を書いてきた私にとって、書くということはごく当たり前の動作ではあったが、中でも大学の卒業論文を書いた経験は今でも忘れられない。

卒業論文を書くことは単純作業の繰り返しだ。はじめの着想こそアイディアを求められるけれど、あとは論理を数珠つなぎにしていくだけで、孫引きとならないように出典となる文献を掘り返してコピーしたり、卒業論文の本文に注釈をつけたりと、作業内容のほとんどは単純作業に集約される。

卒業論文を書くまではきわめて知的な作業が求められると思っていたけれど、実際のところは細かなタスクリストを作って、それをひとつずつこなしていくというごくごく地道な作業ばかりで、私は幻想を打ち砕かれたのだった。

 

だが、卒論を書いて数年経った今、その単純作業こそがモチベーションの如何にかかわらず作業を進められる唯一の方法なのだと思い至った。

そしてそれはクリエイティブな仕事と思われている「小説を書く」ということにも通じるのだと。

タスクリストを書くノートさえ傍らにあれば、何も怖いことはないのだ。たとえ一年先の〆切も怖くはない。自分が積み上げてきた道のりは、ペンで汚したノートが教えてくれるはずだから。