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広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

【書評】佐藤瑞月「白の熱」(『文芸ラジオ』一号掲載作品)

書評

私の作品とともにこちらの作品についての評が載せられたメールを頂戴したのを今でも覚えている。曰く、大江健三郎風だと書かれていた。確かに「クチバシ」のモチーフは大江健三郎の短編小説「空の怪物アグイー」を想起させるもので、モチーフとしては大変興味深い。

この「クチバシ」は主人公の傍らに存在する仮面の少女のことを云うが、主人公を除く常人の目には見えない。例外はといえば主人公が中学時代に出会った霊能力者の少女と、それから社会人になって出会った小野田という人物だけだ。

この小野田は恋人を「クチバシ」と似た存在である「ジン」に殺されてしまい、主人公に「クチバシを殺せ」と警告を与える。結局この物語では「クチバシ」が殺されたかどうかは語られない。代わりに記されているのは次の文章だ。

耐えかねたかのようにそっと小野田が差し出したのはどこにでもある包丁だった。小野田は無理矢理それを握らせる。鈍色に輝く刃物は硬質で冷ややかだった。その温度に、鮎喰は自分の耳を塞いでくれたクチバシの手を思い出した。

この最後の一文が生きている。敢えて結末を語らないというのは余韻を残す技法として使われるけども、ここではその効果ばかりでなく主人公の「クチバシ」への愛着が見て取れる。

掌編とでも云うべき尺の短さでこの世界観を表現することはなかなか難しい。強いて云うのなら短編の尺で読みたかった、というのが正直なところだが、この作品はすでに一個の作品として完成されていると云われればそれまでなのかもしれない。

 

結局「クチバシ」が何だったのか、この小説では明らかにされない。小野田の台詞から分かることも至極断片的である。

しかし重要なのはそこではない。話はあくまでも主人公と「クチバシ」の関係性だけに集約されていく。この二人の関係性についてもう少し具体的なエピソードがあれば、より解釈の余地はあったのだろうが……。そこだけが惜しいと云えば惜しいと感じた。

そして果たして狂っているのは主人公なのか、小野田ら他の人間たちなのか。その境界が曖昧なところもまたこの物語の魅力なのだろう。

狂気を狂気として描くことは、下手をすると猟奇趣味に走るなどのわかりやすい手法を採りかねない問題ではあるが、この物語では至極淡々と狂気と死が描かれる。そこに何らかの意味づけを見出すわけでもなく、滔々とそれらについて語るでもなく、ただ狂気と死という事実だけが横たわっている。

その乾いた死の感触とでも云うべきスタンスが現代文学にふさわしいと感じてしまうのはあまりに大江に寄りすぎた考えだろうか。