広寒宮

アマチュア作家・雨伽詩音の活動報告その他諸々

ネプリ同時配信企画ペーパーウェル02振り返り

 6/1〜6/8にかけて、こちらの企画に参加させていただきました。

 

前回はあいにくと参加できず、泣く泣くwebでの参加になりました。

ちなみに前回の作品はこちら。

kakuyomu.jp

 

今回はようやくPhotoshopの使い方も分かってきたので、無事に配信にこぎ着けることができました。 

 おかげさまで6/8 23:30時点で30名弱の方にプリントしていただき、初めてのネプリ配信としてはまずまずの滑り出しになったのではないかと思います。

改めまして、プリントしてくださった皆様、そして企画を立ち上げてくださった主宰のおふたりに御礼申し上げます。

 

中でもご感想をくださった皆様、温かいお言葉に本当に感激しました。普段どちらかというと感想をいただくことが少ない人間なので、このような素敵な企画のおかげで新たな交流が生まれ、うれしいお言葉をいただけたことをありがたく思っています。

 

なお今回配信した「リリィの花園」につきましては、次回配信予定の千字掌編と併せて、今後直参予定のテキレボ9および秋の文フリ東京でペーパーとして頒布するつもりです。

その後web(おそらくカクヨム)に掲載するという形を取りたいと思います。

 

今回企画に参加させていただいた中で一番うれしかったのが、きぃちょん(@ki_chon)さんが配信していた原稿用紙に詩を書いたところ、きぃちょんさんからお返しの詩をいただいたことでした。

私の書いた詩「水無月の海」はこちら。

https://star-bellflower06.tumblr.com/post/185404499922/%E6%B0%B4%E7%84%A1%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%B5%B7

star-bellflower06.tumblr.com

お返しの詩をこちらに貼るのはちょっと申し訳ないので、気になる方はぜひきぃちょんさんのTwitterを拝見してみてください。先にも書きましたが、普段こういうやりとりをすることはほとんどないので、胸が熱くなりました。きぃちょんさんに感謝です。

 

そして今回出力させていただいたネプリがこちら。 

本当に写真映えがする作品ばかりで、前回もプリントさせていただくのが楽しかったのですが、今回は前回よりもさらにバリエーションに富んだラインナップだったのかなと感じました。

 

それぞれ感想をまとめておきます。

 

特に凪野基さんの作品は印象深くて、個人的にやりとりさせていただいたのですが、その流れで凪野さんの新刊『死霊術師の菜園』をお迎えさせていだだきました。

こうして交流の輪が広がったのも、ひとえにこのペーパーウェルという企画のおかげだと思っています。今回参加することができて、本当によかったです。

また次回も企画があればぜひ参加させていただきたいです。今度は折り本なども作ってみたいなと思いつつ……。

 

さて、先にも書きましたが、次回は個人的にネプリを配信しようと思っていて、時期は来月初旬を予定しています。

内容は千字掌編で、和風テイストを意識した、お琴の師匠と弟子のすったもんだを描いた作品です。 

作風が近いものとしては、以前パセリ流星群に寄稿した、「女郎蜘蛛の男」でしょうか。参考までにご覧下さい。

parsleymeteor.hateblo.jp

師弟関係って好きなんですよね。濃密な関係が生まれやすい間柄なのかなと思っています。どうぞお楽しみに。

Twitter300字SSメイキング

凪野基さんのTwitter300字SSメイキングの記事を拝見して、私も今回の「水」のお題はなかなか難産だったので、メイキングを書いてみようと思い立ち、こうして記事にすることにしました。

凪野さんの記事はこちら。

bluegray.self.jp

 
私は詩を含め、1000字未満のものはほぼ即興で書いているので、メイキング呼べるほどのものはないのですが、今回の「水」ではどうしても書きたかったことがありました。
それは当日見た夢。ちょっと変わった名前を持つ従姉妹(初対面の人にはその名前からお寺の子だと思われるとのこと)が夢の中に尼僧として出てきたのです。
お寺らしい見事な障壁画を背に、僧衣を纏って座っている姿はなんだかありがたいほどでした。
私はわりと変わった夢を見る方なんですが、こういうありがたい夢は数えるほどしか見ないので、『日本霊異記』よろしく文章にしたためておきたいと思ったのでした。 
日本霊異記 (新日本古典文学大系 30)

日本霊異記 (新日本古典文学大系 30)

 

 

その夢のイメージを念頭に置いて、即興で書きはじめたのですが、まず一番大事なのは出だしです。ここで読者の心を掴むと同時に、自分も作品の中に入っていかなければならないので、今回は「ああ」という嘆きから入ることにしました。最初は「ああ、清水……」だったのですが、字数の関係で削らざるを得なくて「ああ清水……」になっています。

 

そうして書いているうちに中西進先生の『万葉の秀歌』で読んだ、万葉集の歌

稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ(巻14 3459)

が脳裏をよぎり、これも入れたいと思ったのと、五木の子守唄のことが頭をかすめたので、このモチーフも取り入れることにしました。 

「万葉の昔から〜」はこの歌を、そして「哀しい子守唄」は「五木の子守唄」から来ています。

万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

万葉の秀歌 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

となると、主人公は女中働きをしている女性だな、と。水仕事で手も荒れているけれど、実は『化鳥』や「縷紅新草」に出てくる鏡花の描くヒロインよろしく、元は良家の出身だったりして……という妄想が広がり、没落した良家の出身ということにしました。

絵本 化鳥

絵本 化鳥

 
縷紅新草

縷紅新草

 

 

この間すべて即興で書いているので、頭の抽斗にあるネタがすべてです。Twitter300字SSや普段書いている詩は、頭にあるネタの組み合わせで書いています。村上春樹

イマジネーションとは記憶のことだ――ジェームズ・ジョイス

という引用を『職業としての小説家』の中で記していますが、本当にその通りだと思います。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

そうして書き上がったものを見ると480字近くになりました。普段はだいたい300字以内に収まることが多いので、ここから削るのが大変でした。

書きすぎているなと感じたのは一番書きたかった尼僧のシーン。思い入れがある分、余分な描写や説明も多く、できるだけ最低限で伝わるように削りました。イメージの世界を文字に落とすと、どうしても余分な言葉が出てきてしまったり、説明口調になってしまったりします。それを女性の語りに落とし込む上で、できるだけ指示語を削り、想像している姿のすべてを書くのではなく、ここだけは抑えておきたいというところだけを選んで残しました。

 

それから細かな云い回しで

「日夜を問わぬ」→「日夜を置かぬ」(意味がかなり変わってきてしまうので)

「明日の我が身を嘆くのも慣らいのうち」→「明日の我が身を嘆くのも習い性」(語感の問題)

「花のような唇」→「花の唇」(「ような」が冗長で不要)

という書き換えを行いました。なんとなく「習い性」で云い切ってしまった方がすっきりする感じがします。

 

そうして出来上がったのがこちらになります。

https://star-bellflower06.tumblr.com/post/185291032850/%E6%BE%84%E3%82%80%E3%81%8C%E5%A6%82%E3%81%97

star-bellflower06.tumblr.com

 

出来映えの如何はともかく、だいたい即興で作品を書く時には、ほとんど小一時間の間にここまで完結します。ネタを抽斗から引っ張ってきて組み合わせ、言葉を削ったり磨いたりするのは詩もTwitter300字SSも変わりません。

今回メイキングを書いていて、自分の頭の中を可視化する楽しさと面白さに気づきました。

またどこかでご縁があればやってみたいです。

 

ちなみにこれまでに書いたTwitter300字SSはこちらにまとめています。ぜひ併せてご覧下さい。

kakuyomu.jp

 

異界訪問譚

しばらく放置している間にお知らせする作品が溜まってきてしまったので、二回に分けてご紹介します。
まずは「異界訪問譚」。
https://star-bellflower06.tumblr.com/post/184032454155/%E7%95%B0%E7%95%8C%E8%A8%AA%E5%95%8F%E8%AD%9A

star-bellflower06.tumblr.com

なんとなく小説を書く文体で詩を書きたくなって、本能の赴くままに書いた作品なのですが、久しぶりに3noteをいただいてうれしかったです。

タイトルは『異類婚姻譚』があるなら同じく神話学用語の「異界訪問譚」があってもいいのではないかと思ってつけました。

書いた当時は『唐詩選』ブームが来ていて、李嶠の「奉和幸韋嗣立山莊應制」のうち

喬木千齢外 喬木 千齢の外

懸泉百丈餘 懸泉 百丈の余

崖深經錬藥 崖は深くして経(かつ)て薬を錬(ね)り

穴古舊藏書 穴は古りて旧(も)と書を蔵したり

から着想を得たのと、旅の詩が書きたいなぁと思って書いたのでした。

ちなみにこの箇所は

周の穆王(ぼくおう)が大酉(たいゆう)山・小酉山の中に珍らしい書物を秘蔵した伝説をさしていったものである。――高木正一唐詩選上 新訂中国古典選14』、朝日新聞社、1965、p95。

だそうです。穆王と云えば、遊仙詩で有名な郭璞の注による『穆天子伝』が有名ですが、未だ読んだことはなく……。
 
そしてこうして書いてみるとやっぱり勉強は大事だなぁということを実感しますね。
ちょっとした小ネタであっても、古典を知っておくのと知らないのとでは雲泥の差だなぁと最近自分自身を顧みても感じます……。もっと精進しなくては。
 
続いては「幻雨」(お題:雨音)。
https://star-bellflower06.tumblr.com/post/184635891682/%E5%B9%BB%E9%9B%A8

star-bellflower06.tumblr.com

 

 こちらのお題を募集した投票で、リプで「雨音」というお題を追加でいただいたこともあり、また大阪旅行の最中に体調を崩してしまって、ひとりホテルで臥せっていたので、心の隙間を埋めるべく書いたのでした。

今となってはいい思い出です。

 旅の様子はTwitterにまとめましたが、念願かなって赴いた司馬遼太郎記念館では良い刺激をいただきました。

 
 そして最新作の「日輪の巫女」と「胡蝶姫」。
日輪の巫女(お題:藤)

 

胡蝶姫(お題:紫陽花)

https://star-bellflower06.tumblr.com/post/185104969615/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E5%A7%AB

star-bellflower06.tumblr.com

 

こちらはまたもやお題を募集して書いたのでした。

 

 「日輪の巫女」に関しては、うさうららさん主宰の短歌アンソロジー『ぽたん』に寄稿させていただいた「日輪」という天照大神に恋をする巫女の連作短歌三首をアレンジして詩に仕立てました。

  ちなみに『ぽたん』は静岡文学マルシェで頒布される他、うさうららさん主宰のネプリ同時配信企画ペーパーウェル02でも配信される予定だそうです。

この企画には私も参加する予定です。珍しく現代風の詩になります。

また追って告知いたしますのでお待ちください。

 

「胡蝶姫」に関しては、久しぶりに毒っ気があるというか外連味があるものが書けて楽しかったです。

和風というとどうしても専攻していた記紀神話に寄りがちだったので、もっと違うテイストのものも書いてみたかったのでした。

きっかけとなったのは、先日彼がbeatmaniaでプレイしていたこの曲。

籠の鳥というと、宗三左文字推しとしては書かずにはいられない鉄板ネタではあるんですが、私はどちらかというと籠の鳥よりも、その後見向きもされなくなってしまった秋扇の方が好みなので、これまであまり書いてきませんでした。

でも書いてみると歪な関係性を描けることや、ちょっと和ホラーな雰囲気を醸し出せるのも魅力だなと感じました。

この胡蝶姫のことはまたいずれどこかで掘り下げて書けたらいいなと思っています。 

創作に救われる

短歌も俳句も下手の横好きでやっているのだが、今は体調が悪くて小説どころか詩も書けないという状況にある。そんな中にあって、五・七・五ないしは三十一文字という形式の決まった俳句や短歌というのは、詩を書いたり小説を書くのとはまた違う脳の部分を使うらしく、出来不出来はさておき、自分の納得できる一首ができるとうれしくなる。
字数の形式に合わせて言葉を選定していくのも面白く、ノートにあれやこれやと案を書いては線で消し、再び頭をひねるという作業が楽しくてならない。云うなれば小説の推敲の楽しさを原稿を書く作業とほぼタイムラグなしで味わえるといったところだろうか。
校正作業はわりと好きな方なので、ああでもない、こうでもないと頭を動かすのは良い体操になっている気がする。


先日は珈琲日和12に寄稿する六首の俳句と、短歌ハッシュ五月号に寄稿する短歌一首を詠んだ。

人様の目に触れるということで、俳句に関しては無季語のものをこれまで詠むことが多かったけれども、厳密に季語を選び、さらに珈琲という題も詠み込んだ上で、六首が連作となるように一連の流れを作るという、これまでにない試みにトライできた喜びは大きい。


季語は夏を選び、六首を通じて初夏から晩夏に至るまでのストーリーに仕上げた。いつもの耽美要素を入れようとはあまり考えていなかったのだけれど、六首を並べたときにおのずとそういう香りが立ち昇ってくるかもしれない。そこは読者の皆様のご感性にゆだねたいと思う。


珈琲日和12はネットプリントにて8月上旬に頒布されるとのことで、9/8の文フリ大阪でも配布されるらしい。今から他の方々の作品を拝読するのが楽しみだ。
私は紅茶党ということもあって、珈琲にはあまりなじみがないのだけれど、夏の日に飲むアイスカフェオレは一等美味しい。そういう気持ちをしたためたエッセイも掲載される予定だ。


短歌ハッシュに関しても、自分はどちらかというと俳句向きの人間だと思っているのだけれど、参加させていただく度に短歌の魅力を感じずにはいられない。いずれまとまった形でオンライン上に発表するのもいいなと思っている。


ちなみにこれまで詠んできた短歌はこちら。

https://star-bellflower06.tumblr.com/post/174018525507/%E6%98%A5%E5%AE%B5

star-bellflower06.tumblr.com

下手の横好きではあるし、本来不器用な人間なので、俳句も短歌もまだまだ勉強が足りないなぁという思いに駆られるのだが、こうして趣味で好きに詠めるという環境が今はありがたい。また何かしらのご縁があればこうした企画に参加させていただきたいし、自主的にももっと俳句を詠んでいければいいなと思う。

 

最後になってしまったが、昨年春の文フリ東京で頒布した合同誌『かもめソング』に寄稿した「翠の鳥」を公開した。

kakuyomu.jp


カクヨム上のいくつかの自主企画にも参加させていただくことにした。ダークファンタジーという定義に当てはまるかどうかは読者の判断にゆだねるが、私としては結構ダークな話だと思っている。


和漢折衷ファンタジーということで、前半パートは平安時代風、終盤パートは中華風という二部構成になっている。いずれも地続きの世界観ではあるのだが、私の創作テーマのひとつに「他界」を描くというのがあるので、中華風世界は「山中他界」として描いた。
「山中他界」を扱った小説には枚挙にいとまがないが、東雅夫編『文豪山怪奇譚』は何度も読み返している。

文豪山怪奇譚 山の怪談名作選

文豪山怪奇譚 山の怪談名作選

 

 鏡花作品で「山中他界」を扱った小説というと「高野聖」はまず筆頭に挙げられるが、こちらの本では「薬草取」が収録されている。

高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)

高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)

 
薬草取

薬草取

 

 ……などと、自作の宣伝というよりは鏡花語りになってしまうのだが、とにもかくにも鏡花作品との出会いがなければこの「翠の鳥」は生まれ得なかっただろうと思う。
そして今、私は再び鏡花作品を読んでいる。しばらく間が空いてしまったが、鏡花の語りの文体や、描かれる女性像の典型について考えを深めつつ読んでいるところだ。
またいずれこちらのブログにまとめたいと思う。

文学フリマ東京、欠席します

前にも一度お伝えしましたが、5/6の文フリ東京を欠席します。

作品を待っていてくださった皆様、まことに申し訳ございません。

 

理由は体調不良と、どうしても外せない予定が前日まで入ってしまったためです。

製本作業中に大きく体調を崩し、現在の様子では、予定の翌日にイベントに出ることが難しいと思われるので、このような形になりました。

なお、当日頒布する予定だった詩集『真珠姫の恋』と句集『揺籃忌』につきましては、後日入稿して同人誌にするつもりです。

また日を改めて、イベントで直接or委託頒布できればと思っております。

ただいかんせん病状が良くないので、今すぐ次のイベントを、というのはなかなか難しいというのが現状です。

しばらくは通販のみでのご案内となることも予想されますので、あらかじめご了承ください。

同人誌に関することにつきましては、また追ってお知らせいたします。

 

なお、オンラインでの活動につきましては、これまで通りやっていくつもりです。

かもめソングでの詩の発表や、ネプリへの参加、個人サイトの運営などはこれまでと変わりなく行っていきたいと思っています。

 

そこでお詫びと云ってはなんですが、昨年合同誌『かもめソング』に寄稿した「翠の鳥」5/10にカクヨムにて公開いたします。

王朝ものを意識した、和漢折衷ファンタジー短編小説です。

そもそもこの小説を書くに至ったきっかけは、こちらの「翠の鳥」という詩が発端だったのですが、これを小説として大きく仕立て直した作品になります。主人公のポジションも異なるので、ぜひ本編でお確かめください。

http://kamomesong.tumblr.com/post/157978380371/%E7%BF%A0%E3%81%AE%E9%B3%A5

kamomesong.tumblr.com

 

ちなみにこの作品にはスケザネさんからご丁寧なご感想をいただいております。

evie-11.hatenablog.com

併せてご覧いただければ幸いです。

止まった時間を動かしたい

院進ができないことが確実になった日からもう4年が経つ。あれからいろんなことがあって、得難い人たちとの出会いの中で少しずつ心が癒されつつあるけども、仕事をしていない私の時間はあの時のまま止まっている気がする、という話を彼にしたところ、「もう一度勉強してみたら」という言葉が返ってきた。

創作のクオリティを磨いていく上でも勉強は必須だし、そうして再び止まっていた時間が動き出すのなら、それに越したことはない。

#文系理系アンソロへの参加も決まり、再び記紀神話と向き合ってみようと決意を固めた。

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大学を出てなにかとお世話になっている國學院の研究雑誌『新國學』を久しぶりに読み返して、山﨑かおり氏の論文から芋づる式に『國學院雑誌』を取り寄せることにし、日本の古本屋で益田勝実の記紀神話研究の本を迎えた。

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こうして本を探していくのは卒論に夢中だった頃を彷彿とさせて懐かしい。学ぶ喜びというものを改めて噛みしめた。

また神話の勉強がすぐに創作に結びつくかどうかはわからないが、物語の祖型はすべて神話に集約される。

そう考えると決して無駄にはならないだろう。

体調面での不安もあり、大学院を受験することは今のところ考えていないが、本を買って学ぶことはどんな環境に置かれていてもできる。

 

そうした中で「ここは間違いない」という学術系出版社や、日本の古本屋を通じて本を買うことで、個人経営の古書店を少しでも応援できればいいなと思う。

以前、アジア遊学という東アジア全般にわたるさまざまな事物を扱った叢書を出版している勉誠出版アジア諸国に対するヘイト本を刊行したことが話題になった。

私はすぐさまアジア遊学を二冊、新品で購入した。

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Twitterでは勉誠出版を危ぶむ声が多かったけども、Twitterで声を上げるだけでは何も始まらない。

自分が良書だと思う本を買うことで、少しでも出版社によりいい本を出してもらう方がよっぽど理にかなっていると思う。

勉強したいことはたくさんある。記紀神話だけでなく、日本古代史、宗教学、民俗学、和歌、中国史など。おそらくこれらの点はひとつの線で繋がっているはずなので、日々無気力で死にそうになっている今だからこそ、知的好奇心を鈍らせないように励みたい。

今、そこにあるリアル

昨年の秋頃からだったか、小説というものが読めなくなってしまった。小説なりアニメなり映画なり、フィクションの世界でわくわくすること、心躍ることに対して疲れてしまうという意識が頭をもたげてきてしまい、ドキドキしたくない、不安になりたくないという気持ちが加わって、フィクションを遠ざけるようになった。

病院で診察を受けると、診断名はうつだった。そりゃわくわくしたくもなくなるわけだ、と思ったが、かといって小説を読まないということも私の心を苛んだ。それまで苦もなく読めていたものが読めなくなるという云いようのない苦痛は耐え難いものがある。


TLを見れば読んだ本の感想が絶え間なく流れてきて、本を読めない私を責めているようで、TLをたどるのもつらくなった。そのうちTLをほとんど追わなくなったが、だからといって本が読めないという事案が解決するわけでもない。

そうしたフィクションへの抵抗感とともに私を絶えず困らせていたのが「寂しい」という感情だった。去年の秋頃まではあまり感じていなかったのに、日がな一日寂しさを持て余すことが多くなり、孤独感はますます病を篤くした。


そうしたことを昨日彼と話した。すると「本を読むことは本と自分との会話だと俺は思っている」という言葉を告げられた。「人と話すのとはまた違うけれど、本を読むことだって話すことだと思うよ」と。
それまで言葉を受容するだけだった本というメディアが、このとき再び私の無二の友として現れた瞬間だった。

 

そしてそれから彼が席を外している間に、無性に現代小説を読みたいと思った。
これまで現代という時代を忌避し、疎ましく思ってきたのに、登場人物と同じ世界に生きているということがどんなに心をなぐさめてくれるだろうと初めて思い至った。

私の頭に、学生時代の後輩の姿が浮かんでいた。彼はやはりこの世界で生きるにはあまりに不器用な人間だったけども、彼がちょうどそのようなことを私に云ったことがあった。
「ファンタジーよりも現代小説が好きなんです。自分の世界の延長に物語がある気がして」と。
そのとき私は彼の気持ちを十二分に理解することはできなかったけれど、今ならよく分かる気がする。

幼少期からもっぱらファンタジーを読んできた私にとって、現代とは空疎な時代に思えてならなかった。しかしその空疎な時代をいかに生きるかという姿を見てみたいと今は感じる。現代を生きるということの壁にぶつかってしまったからこそ、同じ思いをしながら生きている人間のありようを知りたい。


恋愛ひとつをとってみても、現代は多様性にあふれている。どうせならどうしようもない恋愛小説を読んでみたい。どうしようもない恋なんて、近代文学を読めばいくらでも出てくるけども、あくまでも現代を生きる人間がどのような恋をしてやぶれかぶれになったり、道を踏み外したり、思い悩んであくせくしたりするのかを見てみたい。トントン拍子に行かない方がおもしろい。
同年代の女性が主人公の物語も読みたいと思う。冴えないアラサーがいかに生きているのかを、エッセイではなく小説で読んでみたい。今はちょうど村田沙耶香なども出てきているし、そういう小説には事欠かないだろう。

 

今までは考えもしなかったことだが、これまでに抱いていた現代への苦手意識からようやく私は解放されようとしているのかもしれない。現代を生きるという壁にぶつかってはじめて、現代というものを見つめ直す糸口を掴めた気がする。それは自分自身を見つめ直すこと、そしてこの社会の一員としての自分というものを問いただすことに他ならない。
心地がいいだけの読書ではなくなるだろうけども、そうしたときはじめて私は現代という時代を生きることができるのではないかと思う。


そして図書館で本を借りるのではなく、古本でも良いから本を買って読みたい。振り返ったときに、「あのつらい時期をこの本たちと乗り切った」と思えるように。